2018年04月22日

モノを持つとは・パリに住んで変わったこと



つくばの家の、私のクロゼット。虹の七色がそろっています。

前記事で<365日のシンプルライフ>という映画について書きましたが、その流れで。
日本でもさいきん、「1年間服を買わない実験」みたいのやってる方がおられて、興味深いなと思ってたのですが、
あの映画を見て、もっと前に同じようなことやってる人がいたんだ、と。
「買わずに、もとある中から」っていうのがいいよね、と思ったのです。限定されているぶん、色々見えてきて学びがあるだろうな、って。

期せずして、自分もこの映画と似たようなこと、やっていた。
私の場合はパリの部屋が居住スペース、つくばの家がトランクルームみたいな感じになっている。
こちらで暮らしていて、「あれがあったらいいな」と感じたものをリストアップしておいて、年に一度、ボストンバッグに詰めて持ってくる。
だから私の場合は「1日1個」じゃなくて、「年に一度、バッグに入る分だけ」がマイルール。

いちばんはじめ、こちらへ移り住んだとき、持ち物はほんとにバッグひとつ分だけだった。自分の手で運べるだけ。
それ以上はなるだけ、送ってもらったりもしなかった。
人の手を煩わすのも悪いし、送料もほんとに高い。下手すると、送るもの自体の値段と変わらないほど。
だから、服もほんとにベーシックな数着だけ。

あとは、はじめは、こちらのリサイクルショップみたいなところで少し、適当に調達した。
住み始めたのが夏の終わりで、冬物をぜんぜん持っていなかったのでね。
でも、間に合わせだからいろいろと不都合があって、結局手放したものも多い。
着心地わるいとか、合わせづらいとか、街で浮くとか、そこまで好きじゃないとか・・・。

そのあとは極力、こちらでは買わず、日本からこちらへ戻るたびに、もとある中から選んで持ってくる。
つくばの家にはすでにいーっぱい服があるので、必要なものはほぼ揃う。
はるか昔からあるアイテムが、こちらに来ると、少ないワードローブの中でがぜんヘビーユースになって活躍し始める。
だからここ何年と、ほとんど買わずにすんでいる。こういうの、自分史上はじめてのことで、面白い。



いままで、お気に入りはただ持っているだけで、あまり着ない、ということが多かった。
あらためて、そうか、服ってただ持ってるだけじゃなく、着るためにあったのか!って思う。
当たり前だけど、自分の中では、けっこうパラダイム・シフトだった。
なんか<白亜紀><ジュラ紀>みたいに、これまでが<購入・保存期>なら、いまは<使用・消費期>という感じ。

つくばでは、もとある中から持ってくることが多いが、とくに「買わない」というルールを定めているわけではない。
なくて、要るものは買います、もちろん。おもに消耗品。
日焼けどめとか、ブリーチ剤とか、ノートなど、毎年一年分まとめ買いしてもってきてる。
これらは、どうしても適当なのがフランスで見つからないモノたち。

対して、こちらでは極力買わない。
食料品とサプライ以外、めったに買うことはない。人生でこんなにものを買わないことは今までになかったくらい。
理由は・・・
まず、日本のようにクオリティの高いものがリーズナブルに手に入らない。ムダに高い。
「・・・これが何でこんなにするの?」って思う。「価格負けしてる」って表現するらしい。

ほかにも、メトロが嫌いだから極力出掛けないとか、いろいろありますが・・・
いちばん大きいのは、出掛けた先で人種差別にあって不愉快な思いをすることが多いこと。
これが最大の理由。
「こんな国の経済に貢献したくないわ!」って思います。
なので、勝手に不買運動。

まぁ、私の場合はそんなネガティヴな理由からで、
「人生を変えたい!」とか、「ワードローブを見直したい!」とかそんな殊勝な動機ではありません。
けど映画のように「もとある中から選ぶ暮らし」をやってみて、色々あらたな発見がありました。



まず、がらっと環境が変わったことで、これだけの服、これだけのモノで生きていけるっていうのが分かったこと。
それについては、なかなかいい経験だと思う。
ほんとに使ってるものしか置かない快楽・・・それもまたひとつの快楽だな、と。
身軽で気持ちいいし、管理や掃除も楽。

ただ、分かったことのひとつに・・・
こんな限界までムダを減らした(つもりの)生活でも、それでもめったに使わないものがある!
めったに着ない服、めったに履かない靴。
自分でも、かなりびっくり。人間、要るものって想像以上にほんとに少ないみたい。

あと違うのは、少ないワードローブをしょっちゅう着ては洗うので、たちまちすり切れてボロボロに。
Tシャツなんか、前は15年くらい平気でとってあったのに、こちらに持ってくると、1,2年でどうしようもなくなる。
よく言えば、新陳代謝がよくなった、ということでしょうけど。。
お気に入りがダメになるのは悲しい。同じようなのをあらたに探してもなかなか見つからなかったりするし。

他方、矛盾するようだけど、捨てること自体はすごい楽しい。
さいきん、ストレスたまると捨てたくなってねー。これだけ頑張ったんだからいいよね、って、捨てたくなる。
捨てると超絶スッキリして、気分いいのです。乗ってる気球からバラストを落とすみたいに、捨てたぶんだけぐんぐん上昇していく感じ。
でもって、買わないので、どんどんモノが減っていく。このすっきり感も格別。

・・・って、どんだけストレス溜まってるんだっていう話でもありますが・・・それでも、
「ストレスたまると買いたくなる」よりは健全だと思うの。
こうして、極力こちらで買うことなく、ほしいものはつくばの家から持ってくる→こちらで使い倒して処分、という流れが確立しつつある。
こういう流れで、これからも回っていくといい。

ところで、捨てるっていってもこちらでもちゃんと種類別に、リサイクルに出してます。
次記事ではそのひとつをご紹介。




  

Posted by 中島迂生 at 00:49Comments(0)巴里日記2018-4月

2018年04月22日

モノを持つとは・あるフィンランド映画の場合



(画像はすべて、映画のスクリーンショットより)

<365日のシンプルライフ>という映画を見て、なかなか面白かった。
(原題 Tavarataivas, Petri Luukkainen, 2013, フィンランド)

「人生を変えたい」と思い立った主人公が、ある実験を敢行する。
家じゅうに溢れたモノたちをいったん全部トランクルームに預けてゼロから出直す、という実験。
ルールは、1日1個だけ、そこから好きなものを持ってきていい。
それを1年間続ける。(その間、あらたにものを買ってはいけない。)
そして、1年の終わりにどうなるか。

すっかり空っぽになった部屋から始めて、生活しながらそのもようを撮っています。
ドキュメンタリーということになっているけれど、実際は「ドキュメンタリータッチの再編成」という印象。
仕事が映像カメラマンだけあって、非常にきっちり仕上がっている。
筋立てもちゃんとあって、偶然、こんなうまい展開になるかしら・・・?みたいな。



でもたしかに、この実験をやってなければ決して経験しなかったであろう感覚もちゃんと伝わってくる。
例えば、一晩、裸の上にコートだけで過ごした主人公が、次の日にタートルネックのセーターを選び出してその場で着込み、
「ふーっ、体を包むものがあるってありがたいことだなぁ!」としみじみ言うシーン。
あるいは、それまでなんにもない床の上で寝ていたのが、何日めかにやっとマットレスを運び込んで、
「いやベッドってありがたいもんだなぁ。新しい感覚だわ・・・」というシーン。

すごい、分かる気がしました。昔、旅暮らししてたときのことを思い出して。
イギリスやアイルランド、ウェールズを何ヶ月も旅してたことがあるのですが、
雨の中自転車で何十キロも移動した日には、乾いた着替えがあることだけでほんっとにありがたい。
ずっとテントで暮らしたあとには、屋根の下でベッドで眠れるって天国のようでした。
まぁ、ちょっと言いすぎかな。じっさいには・・・宿には宿なりのめんどうがあって、テントも気楽でよかったですよ。
でも少なくとも、暴風雨のときにテントじゃなくてベッドで眠れるっていうのはほんとにありがたかった。



映画に戻ると、映像は、大方主人公とその部屋ばっかりでやや単調に感じましたが、
まわりの人々とのやりとりも面白いし、みんな明るくていいですね。
それに、たまに挟まれる、街を俯瞰で見渡したショットや、何気ないカフェのシーンなんかもよい感じ。
サキソフォンの音色がおしゃれで、よく似合っています。

でも、私的には、この映画の最大のポイントはすばり、主人公のおばあちゃんの部屋です。
いちばん魅力的な映像だと思う。
白を基調としたキッチン、赤いテーブルクロスの敷かれたダイニングテーブル、白い椅子、テーブルの上のシクラメンの鉢・・・
見るからにあったかくて、味わいがあって、そこに暮らすおばあちゃんの人柄が手に取るように伝わってくる。
これが部屋ってものです。
この部屋の醸し出す唯一無二の空気。



このおばあちゃんの言葉が主人公に指針を与えるものとなるのですが、
なんかもう、そんな言葉なんか、おばあちゃんが語る前からこの部屋がとっくに雄弁に語っていると思うの。
主人公が最終的に目指すのはこのレベルなんだろうな・・・と思う。
いや、こういうテイストの部屋、ということではなく、唯一無二性という点でね。
まぁ、私の見方は相当偏ってますので、もっとちゃんとこの映画について知りたい方は、
ほかにもこの映画について詳しく書いてるブログが色々あるみたいなので、そちらへどうぞね。
もしくは本編をどうぞ。

さて、この映画を見ていて、自分も期せずして同じようなことやっていたな・・・と思ったことがありました。
それは旅してた頃のことではなく、ここ数年パリに暮らすなかでね。
それで、次記事ではちょっとそのことについて書こうと思います。






  

Posted by 中島迂生 at 00:24Comments(0)巴里日記2018-4月