2018年02月13日

小説 ホテル・ノスタルジヤ(13) 画商のマルタン


  

13.

 一方、ジャンのもとには、彼が金に困っていることを嗅ぎつけて、画商のマルタンが、また熱心に通うようになっていた。彼は抜けめなく、金のことはおくびにも出さず、ひたすらジャンの才能を世に知らしめることに重きをおいて、自分のところで個展をやるよう説得にかかった。ジャンはあいかわらず、怒鳴り散らして追い返していたが、どうやら、ひところほどの勢いはないようだった。
「右岸の連中のさらしものになってたまるか!」
 マルタン氏はムッシュウ・ブノワ相手に、ジャンの口真似をした。
「これですよ。相変わらずね…」
 見かけはいかにも俗っぽかったが、彼は新しい才能を発掘することにかけては鋭い感覚を持っていた。彼はまた、ジャンの常に抱く、思うようにならないこの世の中全般に対する漠然とした苛立ちと失望を、よく理解しているように見えた。
「絵描きっていうのは馬といっしょでね」
 彼はカウンターで煙草に火を点けながら、ムッシュウ・ブノワに持論を語った。
「重要なのは手綱の引き具合でね。あっしは奴らが売れてからも、あるていど好きにやらせますのさ。奴らには奴らのやり方やリズムがあって、そこをこっちの都合で抑えつけてしまうと、結局はダメになっちまう。要は理解と、歩み寄りでね。うまいこと裁いていかんと…」
「ふむ」ムッシュウ・ブノワはいつものように黙々とクラスを磨きながら傾聴していた。
「易しいもんじゃないさ。だが、これにかけちゃ、あっしもアルチザンでね。血筋なんさ。なんせ母方の大叔父が、モディリアーニを世に出した画商だったんでね…」
 そう言って煙草をはさむ指先、ちょいと片眉を吊り上げたさまなど、たしかにモディリアーニの描く画商の肖像画そっくりだった。
 ムッシュウ・ブノワ、全く動じず--
「その話を聞くのは何回めだい、え? 5万回め?」
「ふふん。…まあ、そういうこった。とにかく、奴の絵は売れるよ。やり方次第では、金の卵を産む鵞鳥になる。俗受けを忌み嫌っているが、じっさい、あれは受ける。とくに右岸の連中にね」 
 マルタンはくすくす笑い、念のためあたりを見回して、ジャンが近くにいないことを確かめた。
「それに奴も、そろそろ子供っぽい意地を張るのも卒業してしかるべき時だ。いつまでもあんたの好意にすがって生きてゆくわけにはいかんよ。奴だって内心、分かっているはずだ。じっさい、もういい年の大人なんだからな」