2011年04月21日

一時帰国



この春は、よくお花見したり、散歩したりしたな。
季節というのはそのひとつひとつが、それぞれ別の恋のようなもの。
桜の花は一週間しか咲かないけれど、それは意味のないことではないよね。

この連休はいつもより長いお休みをもらったので、明日から5月のあたままで、ちょっと心のふるさとに帰ってこようかと思います。
まあ、今までだって分かっていたつもりではあるんですけど、3月の震災があって以来、社会なんて、人間の命なんて儚いものだな、というのをつくづくと思ったんですね。
たまたま私は生きていますけど、ほんとにいつ何があるか分からない。
震災後の数日間、あの、戦争中みたいな息詰まる閉塞状況のなかで、膝を抱えてつくづくと思った。
なんかもう、これ以上まわり道してるべきときじゃないなって。
で、明日死ぬとしたら私は何をいちばんしたいだろう? って考えたときに、
・・・もういちどイギリスへ行きたい! って。
だからそうすることにしました。

ここ何年かは、アイルランドとウェールズでもの書きとしての使命をもらったので、ほとんどそれにかかりきりでした。
でも、自分の心のルーツはどこにあるのかって考えると、むしろだんぜんイギリスなんですよ。
イギリスにいるときに、いちばん心の底からほっとするし、幸せを感じる。生きてる幸せを。
今までここには書いてなかったけど、アイルランドでは実はけっこういやなことが色々あったので、正直あまり好きじゃないんです。

何でイギリスかって?
子供のころ愛読して、耽溺して、浸かりきったあげく、「こういういい本を書き上げるほどりっぱな仕事が、世の中にほかにあるはずがないっ!」とはやばやと結論を出して、作家を志すに至った無数の愛すべき本たち、その実に相当数がイギリスで生み出されたものなのです。
で、あの人の生まれ育った村、あの本の舞台となった土地を、訪ねていって自分の足で歩きまわってみたい、その空気を肌に触れてみたい、それが私の小さいころからの夢で、実は今までも相当あっちこっち、じっさい訪ねてまわってきたのです。
それについては、このブログではまだ全然書いていません。
もの書きとして、オリジナルな内容をもったアイルランド・ウェールズ関連のシリーズのほうが優先だったし、何もかも同時にできないしね。
でも、私としては、こっちの、イギリスのほうが、むしろだんぜん、自分の子供時代を育んでくれたふるさと。

いま、アイルランドとウェールズのシリーズを(日本語では)ほぼ書き終えて、ここに載せる作業もだいたい終わったので、いいしおどき。
ここで久しぶりにふるさとへ戻って、ゆっくり手足をのばして、ふるさとってこんなだったよな、と思い出したい。
無事に戻ってきたら、そのころまでに日本もちゃんとあったら、こんどは今まで歩きまわったイギリスのあちこちの場所や、ゆかりの本たちや、山ほど撮った写真を整理してここに紹介する作業に取り掛かりたいと思っています。

日本に戻って以来いままで、アイルランド関係、あまり読んでももらえないままに、ひとりで頑張って書きつづけてきた。
バリリー座も立ち上げて、団員さんたちにもすごくいっしょに頑張ってもらってきた。
正直、期待したほどの手ごたえもないままに。
全くのボランティアで、セントパトリックス・フェスの企画実行も頑張ってきました。
勉強にはなるけれど、ものすごい時間とエネルギーを要するし、しかも一銭にもならないんですよ? っていうか、出ていく一方だし。

で、正直だんだん疲れてきつつあり、・・・やっぱりここは自分の居場所じゃないのかな、いつまでこんなこと続けられるかな・・・
と思いつつあったときに、これです。
こんな震災だの、原発事故だの。・・・
正直、がっかりしました。ほんとに。・・・
これだけ頑張ってきて、これかよ。・・・みたいな。・・・
何なんだよこの国。・・・
・・・疲れちゃった。・・・で、帰りたくなりました。・・・そういうこと。・・・

でも、まだこっちでいっしょに頑張ってくれてる仲間がいるから。
戻ったら、またもう少し、頑張ろうと思います。
ただ、さらに将来については・・・たぶん、ちゃんと合法的にイギリスに住んで、自分の行くべき道を追求する方法を探ることになるのだろうなぁ・・・

こうやって、書いたことをネット上に載せられるっていうのは、いいですよね。
たとえ自分の家がめちゃくちゃになって、原稿がぜんぶ失われてしまったとしても、ここに載せた文章はネット上にずっと残る。
そう考えるとほんとに心強いし、ありがたいことです。
もの書きとして、ほかに望むことはありません。
たとえ自分が死んでも、自分の書いたものが世に残って、ずっと愛されさえすれば。
というか、どのみち、いつかは死ぬわけですから、それまでにせいいっぱい生きて、いいものを書き上げて、それがずっと残って愛されさえすれば。・・・
ほんとに、ほかに望むことはないですね。・・・

なんか極論になってしまいましたが、そんなわけで、ちょっとふるさとへ帰ってこようと思います。
皆さまもどうぞ、楽しい連休を。
  

Posted by 中島迂生 at 03:57Comments(4)英國紀2011

2011年04月21日

世界がまだ平和だったころのⅡ



今となってはほんとに遠い昔のようですが・・・
2011年3月9日、パレードクイーン ガラナイト@青山モーダポリティカ のもよう。
いつもお世話になっているさきえるさん撮影。

http://www.4misr.com/-t71oreZ1kLqbwqo.html 

ファイナリスト12名×2ステージ、プラスアイリッシュバンドふたつ。
優勝はケイト。初代クイーンおめでとう!!!
震災後、国へ帰ってしまった人も多くて、今はみんなばらばら。
でも、今でも何かみんなでできたらと、みんな思っています。

私のステージに興味ある方のために。
私は上記中9:30あたりと57:57あたりに出ています。
色んな方々に応援・励ましいただきました。
この場をお借りして、ほんとにありがとうございました。

衣裳はトップショップ。
メイクは・・・忘れました、すみません。どこだっけ。
プロの方にメイクしてもらうと、印象がずいぶん違うものですね。
モデルさんや、芸能畑の人とお話しできたり、貴重な経験となりました。
楽しかったな・・・

  

Posted by 中島迂生 at 02:22Comments(0)トップ

2011年04月21日

世界がまだ平和だったころの

いまさらですが、震災前、世界がまだ平和だったころの劇団の練習風景とか、稽古場として使わせていただいている公民館のお祭りとか。



  

Posted by 中島迂生 at 02:03Comments(0)トップ