2010年09月06日

石垣の花嫁(普及版)

愛蘭土物語 クレア篇4
石垣の花嫁 The Bride of Stonewall 劇団第3作作品 普及版
いにしえのアイルランドの物語
2005 by 中島迂生 Ussay Nakajima



 森の娘キーナ わがよろこび
 かがやくひとみに ばら色のほお
 
 鹿のごと駆ける みどりのくに
 ふるさとあとに発つ うるわしの花嫁

 なれにすべてささげ 心尽くす我を
 なれは憎み滅ぼす 深き水のなか

 わが悲しみの歌は とわに流れ
 去りゆきしその名を いまも呼びつづける


 アイルランドの石垣。・・・
 あふれるような緑のなかに、あるいは荒涼とした荒れ野のなかに、国じゅう至るところ、網の目のように巡らされた灰色の石垣の列、それはこの国の田園風景を特徴づけるもののひとつといっていい。

 多くの場合、それらは羊を囲うため、牧草地を区切って築かれている。
 くずれかけた石垣には、しばしばブランブルという、とげのあるブラックベリーの茂みがからみつく。
 夏になると、それらはいたるところいっせいに、びっしりと花を咲かせる。
 淡いピンクがかったその白い花むらが、メドウを吹き渡る風にゆれるさま、それはほんとうに、夢のような美しさだ。
 やがて花が散って秋の日が過ぎゆくほど、その青い実はだんだんにルビーのような赤色へ、そして葡萄酒のような深い、甘い黒色に熟してゆく・・・

 アイルランドじゅう、どこまでも旅をつづけても、ゆけどもゆけども目にするのはその同じ風景だ。いつしかそれはまるでくり返される呪文、あるいは、何かの歌のリフレインのようにも思えてくる・・・
 これは、そんなどこにでもある景色に秘められた、ドラマティックな起源の物語。・・・

 遠い昔、霊力が万物のあいだに宿り、動物たちが言葉を解し、神々が人のかたちをとって山河を歩きまわっていた頃のこと・・・
 この国でもっとも大きな力をもっていたのは石の神であった。
その力は今よりずっと強く、その口から発する詩の言葉をもって彼はその王国をどこまでも張り広げ、その口ずさむ調べをもって大空を支えていた・・・
 国ぜんたいは草一本も生えない、ただ青灰色の堅い岩盤ばかりがどこまでもうちつづく荒野であった、けれども石の神は力ある建国者で、その都は精緻で美しい、石造りの強固な都市であった・・・

 そのころ森の神は新参者にすぎなかった、森はまだこの国を覆っておらず、その領土はわずかなものだった、けれども彼にはキーナという美しい一人娘があって、そしてその民のすべては彼を慕っていたので、彼らすべては楽しく、つつがなく暮らしていた。
 石の神の都はアイルランドの西の端に、森の神の都はその東の端にあった。

 あるとき、石の神と森の神とがチェスを指して、それぞれ己れのもっているうちでもっとも価値あるものを賭けようということになった。
「私は自分の支配下にあるこの広大な領土のすべてを賭けよう」と石の神が言った。
「それでは私も自分のもつ領土のすべてを賭けよう」と森の神が言った。
すると石の神は笑って答えた、
「お前のもつちっぽけな領土が何だというのか、そんなものは賭けるほどにも値しない。だがお前の娘キーナは若く、美しい。私はお前がお前の娘に、自分の王国全体よりも高い価値を見出していることを知っている。お前の娘を賭けるがよい」
「それでは私は自分の娘を賭けよう」と森の神は言った。

 そこで彼らは勝負に及んで、石の神が勝った。
「それではお前の娘を渡しなさい。彼女は私のただひとりの妻となり、私は命の日の限り、心を尽くしてこれを大切にするだろう」と、石の神は言った。

 そこで森の神の娘キーナの一行は彼らのすむ森をあとにして、石の国の広大な領土を、都めざして何日もかけて旅していった。

旅の途中で、彼らは石の穴居にすむひとりの老婆に出会った。
「お前は森の神の娘キーナか」と老婆は尋ねた。
「私はそうだ」とキーナは答えた。
「私は大地の母マグアである」と老婆は言った。
「聞きなさい。この国は今は石の神の支配下にあるが、遠からずお前たち森の民のものになる。時を待ちなさい。お前は石の神を打ち倒す者となるだろう」
 そして彼女はキーナに、しなびた木の実と、空色をした小さい鳥の卵と、白い、まるい貝殻とを与えた。

 一行が都に着くと、石の神はキーナを妻として迎え、彼女に石造りのりっぱな城を与えて住まわせた。
千人もの召使にかしづかれ、何不自由ない暮らしであった。
しかし、城の門には厳重に鍵がかけられ、とくに選ばれた屈強な兵士たちが昼夜見張りにあたっていた。
 こうして何年かが過ぎた。

 あるとき石の神は神々の集まりに出かけて都を留守にした。すると、キーナは門の見張りにあたっていた兵士の若者に近づいて、こう言った。
「あなたの仕える主人の栄光は尽きようとしています。この国は遠からず私たち森の民のものとなる定めにあるのです。
いま、私の側について、私が逃げるのを助け、石の神を打ち倒すのに力を貸すなら、私の父はやがて全土にわたるその王国でお前に高い地位を与え、また私をも与えるでしょう」
 そこで若者はキーナを助けることに同意した。

 キーナと若者が城を逃げ出して、森の国めざして急いでいると、戻ってきた石の神が気づいて、彼らふたりを追いかけてきた。
そのゆえに大地は揺れ、激動し、いくつもの山が割れて地中深く裂け目が走った。

 石の神が追いついてきたのを見ると、キーナは懐からしなびた木の実を取り出して投げつけた。
すると木の実は割れて、そこからありとあらゆる種類の草木が生じ、びっしりとからまりあった森となって石の神のゆく手を阻んだ。
彼が手こずっているあいだにふたりは遠くへ逃げおおせた。

 森を抜け出した石の神がふたたび追いついてくるのを見ると、キーナは懐から空色の小さい卵を取り出して投げつけた。
すると卵は割れて、そこからありとあらゆる種類の鳥の大群が現れ、その幾千という翼が激しい風あらしを巻きおこして、石の神のゆく手を阻んだ。そのあいだにふたりはさらに遠くへ逃げおおせた。

 石の神がみたび追いついてくるのを見ると、キーナは懐から白い、まるい貝殻を取り出して投げつけた。
すると貝殻は割れて、そこから大量の水が流れ出し、深く大きな湖となって石の神のゆく手を阻んだ。
石の神は渡りきろうとしたが、湖はあまりに深く、激しくうずまく水の流れにのみこまれてどうすることもできなかった。

 自分が滅びようとしていることを知って、石の神はキーナに言った。
「私はお前にどんな間違ったことをしたか」
「何も」と、キーナは答えた。
「では、お前はなぜ私を憎んで、殺そうとするのか」と石の神は言った。
「お前は冷たく、年老いていて、醜い」とキーナは答えた。
「私が冷たく、年老いていて、醜いというので、お前は私を殺そうとするのか」
「そうだ」とキーナは答えた。
「このゆえに」と石の神は言った。「私は滅びゆくであろう。けれどもお前を探し求める私の心が滅びることはない・・・
 それは全土をゆきめぐり、この国が森の神のものとなってなお、すみずみにまでのびた石垣となって、とこしえに嘆きつづけるであろう」

 こうして石の神とその王国は滅び、残党は西の果てにまで追いやられた。
アイルランドぜんたいは森の神の領土となった。

 父王は盛装してキーナを出迎え、自ら娘の前に膝まづいて許しを乞うた。
「私の犯した愚かなあやまちを、どうか悪く思わないでくれるように」
「私の命はあなたのもの、私の命の日々もまたあなたのものです。わが主よ、どうしてあなたのことを悪く思ったりするでしょうか」

 みどりの森の うつくしきかな
 その力もて その偉大なる力もて
 汝のおもて あめつちにみち
 そのとこしえに 栄えあらん

そのときから大地には草木の芽が生じ、みどりの森がゆたかに茂った。
森の神はキーナと共に帰った若者にその王国の中で高い地位を与え、またその娘キーナをも与えた。森の国は富み栄えた。

 それでもなお、去っていった石の神の悲しみの歌が消えることはなかった、それは全土をゆきめぐり、とこしえに嘆きつづける定めにあった・・・ 
このゆえに、今なお、もっともみどりゆたかな土地にまでくまなくのびた石垣が、その悲しみの調べを奏でつづけているのだ・・・

 アイルランドの全土を覆う石垣の網目、それは滅び去っていった石の神の、今もうごめく指先なのだ。その牧歌的な風景が、どこかに不気味な暗さを感じさせるのはそのためなのだ。
 夏の日の午後、青黒い雲むらが湧き上がってはざあっと打ちつける、はげしい雨風のまたたくまにゆきすぎて、ふたたび日の光にかがやきわたる野へ、出ていってみるがよい・・・ 足の向くまま、四方に広がるメドウを見わたすとき、かなしくゆらめいてどこまでもつづくその石垣のえがくリズムにのせて、遠くかすかに、たえまなくひびくその調べを、ひとは今もその耳にはっきりと聴くだろう・・・
 美しい娘キーナ、お前は私を裏切った・・・私の歌はとこしえに流れ・・・去っていったお前を求め・・・お前の名を呼びつづける・・・ 





















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