2008年09月15日
つくば近辺、つづき
こんばんは。ひきつづき。
○金色姫物語(こんじきひめものがたり)
こちらは7月半ば、つくば市にて。
<金色姫>は筑波山に伝わる養蚕業の起源を説いた伝説。
これをモチーフに絵を描いてこられた画家の方の主宰になり、絵画展示・朗読・創作舞踊・音楽のコラボレーションといった企画でした。
創作舞踊の若い女性はたったひとりで、場面ごとの朗読に合わせ、さまざまに衣装を変えつつヒロインから野獣たちからはては蚕のようすまで工夫して表現してらっしゃる。
きちんとつくりこんで堂々とやれば、ひとりでもじゅうぶん鑑賞に堪えるんだなぁとあらためて。
そういえば、こういう構成は能に似ているかも。
踊りの部分はいろんな要素、ベリーダンス、バレエ、フィギュアスケートなんかの動きをミックスした感じだったかな。
優美なシルエット、しなやかな動きとあいまってすごくセンスのよさを感じました。
音楽は、田楽とかそういう系で、私はあまり詳しくないのですが、こちらも耳にこころよく、センスのよい構成だなと思いながら聴いていました。
照明も、シンプルながらよく考えられて効果的でした。ふつうの白色灯のみなんですが、数か所に設置して場面によって照らし方を変えて。
背景には、主宰者の画家さんの、物語のそれぞれの場面を描いた絵を一堂に集めて掲示。
それはそれでまったく違和感ないのですが、ただ・・・
これは個人的な印象なんですが、一枚一枚がけっこう小さく、遠くからだと何が描いてあるのか見づらかったので。・・・
できたら場面ごとにその場面の絵一枚だけを、スライドプロジェクターかなにかで拡大してばーんと背景に掲げる、というようなことを、画家さん自身もほんとはやりたかったんじゃないかな。
同じ方の、筑波山を描いた連作が会場内にいっぱい展示してあって、すごく綺麗だった。澄んだ色づかいで、くせのないのびやかな筆づかいで。
全体として、とてもよくまとまった、いい感じの企画だったと思います。
○自然生(じねんじょ)クラブ
金色姫企画の大方を担当していたのは自然生クラブ。
筑波山のふもとにグループホームを構え、知的ハンディキャップをもつ人々とともに有機野菜やお米をつくりながら音楽や舞台芸術に携わっている団体です。
実はこの日、バリリー座の団員募集チラシを配っていただいたところ、音楽を担当されていたメンバーのひとりが興味をもって連絡してくださり、わが劇団にご協力いただけることになりました。
しかも、あとから知ったのですが、彼らは田楽舞のステージを披露しに、2007年にアイルランドへ行ってらっしゃったのでした。
これもなにかのご縁でしょう。舞台経験豊富な方のご参加で、ありがたい限りです。
金色姫の会場に展示されていた絵の、鮮烈な青空と緑の夏山を眺めているうち、こんなきれいなところに暮らしている自然生クラブを訪ねて行ってみたくなりました。
そこで見学を申し入れると、こころよく受け入れてくださり、8月の終わりごろ遊びに行ってきました。
絵そのままの緑ゆたかな山景色、鄙びた家並のつづく筑波路、そちこちに点々と、むくげやさるすべりの濃いピンク、なんとも風情があってよい感じです。
急な山道を分け入ったところにある建物や、団体の畑、田んぼ、蔵を改築したミュージアムなど、丁寧に案内してくださいました。
時間の流れ方がなんともいえずゆったりとしていて、心地よさについ長居しすぎてしまいました。
同時に、こんな理念ある体制づくりをしてこられた施設長さんというのはどんな方なのだろう、と少なからず関心をもちました。
というのは、ある意味、この方のやってこられたことというのは、自分がこれからやろうとしているのといくらか共通する部分がある、と感じたからです。
といっても、私は今のところグループホームとかをつくる予定はありません。
けれども、分野は違っても、はたから見るとどう考えてもたいしてお金になりそうもないことを、どうしても内的必然性があるので推し進めていくしかない、やり遂げていくしかないんだ、みたいな、そういうところ。
そういう部分に、すごく共感を覚えましたし、尊敬の念を感じたのです。
実はこのとき、会報誌みたいのをいただいていて、そこに施設長さんはじめスタッフの方々が四季折々の所感を綴ってらっしゃった。
で、それを興味深く拝読していたのですが、その後、さらに施設長さんのお話を直接うかがう機会に恵まれました。
文章の印象どおりに知的でもの静かな方でした。
公演で行かれたアイルランドの風景や、そこで触れたアイリッシュのダンス・チューンなども愛好してらっしゃった。
「フィドルっていうんだっけ、あれ。
1回、2回おなじメロディーを繰り返して、3回めにちょっと変えて弾くのね。」
「アイルランドの風景、好きですよ。
・・・何もなくて、ぽっかりと空が広くて、一面荒野が広がっていて。
そのあと東京に戻ってきたら・・・すきまもなくぎっちり建物が並んでいて、なんだか息苦しくなっちゃってね。」
「学校は教えるところじゃない、学ぶところだと思ってる。・・・
いまの一般の学校教育って、次から次へと色んなものつめこまれて、立ち止まることさえ許されない・・・それこそ、東京の街並みみたいに。あとからあとから急きたてられて、・・・結局、急いで死ね、みたいな。
自分の人生を生きることを許されない・・・それってとても残酷なことじゃないだろうか。 」
「オリジナルなものっていうのは、何もないところからしか生まれてこないんじゃないだろうか。・・・アイルランドの平原みたいに。ほんとにその人独自なものっていうのは。
司馬遼太郎がなんか書いてたけど・・・アイルランドの風景っていうのは、何もないからこそ想像力がかきたてられて、・・・物語に充ちてる、ってね。
自分でつくるものって、尊いでしょ。・・・オリジナルなものかどうかはともかく、自分でつくるものはひとつしかないし、大切にする。」
いきなり外から来てこんなことおききするのも大変失礼なのですが、と、このとき私は実際おききしてみたのです。いったいどんな心意気で、こういう共同体を運営してらっしゃるのだろうか。
すると、考えながら、こんなふうに答えてくださいました。
「商業ベースでやることは考えない・・・お金もうけのためにやってるんじゃないし、別に有名になりたいってわけでもない。
じっさい、今でも色んな問題がある。
でも、自分たちだけじゃなく、ほかの色んな人たちの力添えがあってやっていることだから。
ものごとっていうのはね、うまくいってるときにはみんなついてくるものなんです。
でも、うまくいかないときに支えてくれる人っていうのは・・・。
我々は、苦しいときには苦しいって言う。困ってるときには困ってるって言う。
うまくいかないときに、うまくいってるようなふりをしない。」・・・
楡の木の梢が緑の屋根を広げるウッドデッキでしずかな時を過ごしながら、これらの言葉を思いめぐらしました。
じっさい、この共同体は、すでに20年近く続いているのですから、それだけの年月の重みのこもった実感でいらっしゃったと思います。
このとき話してくださった内容のすべてを、私はもちろん実感として分かるわけではありませんが、これから劇団活動を推し進めていくなかで、いつかもう少し深く理解できることがあるかもしれません。
貴重なお時間をいただいた感謝をこめて、ここに書き留めておきたいと思います。
中島 迂生