2020年08月03日

高校の話~16 友達恐怖症~



おととし、数学のK先生と再会して、のっけからすごく驚いたのは、私のことをめちゃめちゃ正確に覚えてくれてたこと。
K先生が担任だったことはないし、私、私立文系に行ってしまったから、数学は2年間しか教わっていないのに。
出身中学から、1年のときのクラス、行った大学まで覚えていた。
生徒、何百人もいたのに、ひとりひとりのことをそんなに覚えているもの?!
先生の頭の中、ハードディスクが入ってるんじゃないだろうか。

あの頃こんなことまで知っててくれたんだ、って印象的だったことのひとつ。
球技大会のとき、自分のクラスが負けてしまってとくにやることもなくなったあと、私、ひとりで教室に戻って勉強していたことがあったらしい。

言われてみればそんなこともあった気もする。
でも、友達と体育館のピアノを弾いてた記憶もあるんだよな。
そのあと飽きてひとりで戻ったのかな? …忘れちゃった。
もしかしたら、それは別の年の球技大会だったかもしれない。

それにしても…
「で、なんで先生がそれを知ってるんですか?」
と聞いたら、答えなしw

校内を巡回していて、私の姿を見たけれど、何も言わずにほっといてくれたんだね。
なんかその話聞いて、感動した。
先生がそれを話してくれなかったら私、ずっと知らないままだったんだ。
四半世紀めの真実w
あたし竜一の先生たちの、そういうところが好きなんですよ。

ふつうそんな生徒の姿を見つけたら、みんなのところに戻るように言うだろう。
少なくとも、「何してんの?」くらいは声かけるんじゃないだろうか。
それを、何も言わずにほっといてくれるって。
そう、この人も「言わないでくれるデリカシー」のある人だったな、思い返すと。

先生たちもそうだったし、生徒たちもそうだった。
K先生の話聞いてて思い出したけど、私、あのころ、けっこう変わり者で、一匹狼だった。
女の子たちって、新しい学年が始まると、早々にいくつかの友達グループができて、みんなどこかのグループに属し、基本、それが一年間つづく。
あるとき、そういうのがめんどくさくなって、どこのグループにも属さずに、お昼もひとりで食べていた時期があった。
ただ、グループに属していないだけで、みんなとふつうに挨拶もするし、話もしてたけどね。
でも、いま思うと、そんな中途半端なポジションが許されてたって、奇蹟。

ふつうそういう、毛色の変わった子がいると、排除しようとするか、もしくは善意でいずれかのグループに、引っぱりこもうとするんじゃないかと思うの。
でも、ここでは、そのどちらも、なかった。
みんながなんか、ゆとりがあった。おとなだった。
多少変なのがいても、そのままに、あたたかく放っといてくれていた。
何でこんなことになってるかも知らなかったのに。

そう。何でそういうことになってたかっていうとね。
高校で何かイヤなことがあったわけじゃないんだ。
実は中学時代に、原因があったの。
中3のとき、非常にそのう…めんどくさい友達がいて、金魚のフンみたいに四六時中くっついてくるんですよ。
それでほんとに、疲れちゃって。
でも、その子、私のほかに友達いなかったから、私が逃げ出すわけにはいかなかったの。
「この子を送り出すまでは」って、受験生の担任みたいに、耐えていた。

クラスメートたちが、同情してくれてね。
「自分も受験なのに、大変だねー」って。
あー、分かってくれてる人たちがいる!って、救われた。

で、無事送り出したわけなんだけど、それがトラウマになっちゃった。
なんか、友達恐怖症になった。
うっかり友達つくって、またあんなめんどくさい思いをすることになったら!っていう。
それであんなふうだったの、あの頃。

やっぱり、我慢のしすぎはよくないな、今思うと。
あとから、いろいろと人間がゆがむ。
かといって、あの頃、どうしたらあの子を傷つけずに距離をおけただろうか、って考えても、答えが出ない。

ともあれ、それで結果として、あの頃なんかひとり社会実験みたいになってた。
特定の家庭に属する飼い猫じゃなく、地域猫みたいな存在。
そして結果的に、ああしてみんなの優しさを見出したんだ。

そんな子、ほかにいなかったからな。
そんなふうで、やりづらい場面、居心地の悪い場面っていうのは、それは折々ありましたよ。
でも、イヤな思いしたことは、一度もなかった。

…いま思うと、よくそんなこと思いきってやったな、って思う。
はなから信頼していたんだと思う。
この人たちは、そんなことで私をいじめたりしないって。
そんなこと考えもしなかった。
そんな子供っぽいこと、やるわけがない。
このひとたちはちゃんとした人たちだもの。って。

でもそのうち思ったの。
私、みんなの優しさに甘えてるな。
気を遣わせてしまっているな。
そう気づいて、次の学年からは、また、ひとつのグループに属した。
結局そのほうが、いろいろと都合はよかった。

「…ほっとしたよ」って声が、どこからか聞こえてきた。
みんなは、どこまでも優しかった。
























  

Posted by 中島迂生 at 19:09Comments(0)高校の話 2020

2020年08月03日

高校の話~15 ○○りん名言録3選~



数学のK先生のところへ、去年も遊びにいった。
校長先生を務めていた高校まで、パァーンとどこまでも広がる関東平野の田んぼの一本道。
道も綺麗に整備されて、走るのがほんとに気持ちよい。
途中で幅の広い橋をわたる。
河がうねって地平に消える景色のかなた、えんえんと緑が重なって、はるか遠くまで。

不本意ながら都市部に住んで、<遠景>なんてものを望むべくもないいま、あの景色、思い出すだけで心晴れる。
こんな道を毎日通勤してるなんて、いいなー。
あ、でも、交通の便はあまりよくないらしい。
電車通勤派だったK先生、ここの赴任になってからは、やむなくマイカー通勤なのだそうだ。
会食があったりすると飲めなくて困るらしい。それはそうだ。

去年の夏、さいしょに遊びにいった日は、生きて帰れるかっていうくらいの暑さだった。
でも晴れ渡って、超絶きれい。
ぱきんとした光のなかで、一面の田んぼが広がって。

校長室に通されると、冷蔵庫みたいに完璧に冷えた室内に、さらに扇風機がまわって、急に北極に来たよう。
完璧なおもてなし。

その前の年も遊びに来たので、ちょっと懐かしい感じ。
おとなりの学校の校長室と同じ、四角いでっかい、こげ茶の革張りのソファ。
執務机の上には、同じ瀬戸物の、綺麗な青いコーヒーカップと、ガラス玉のメモホルダーみたいなの。
それからノートパソコン。
それだけで、あとは何もなし。超絶すっきり。

机の横の壁に貼ってあった、ルイ・アラゴンの言葉を記した紙は、剥がされていた。
悪い人じゃないけど、スターリンの偽善を見抜けなかった人だからね。

この夏も2回くらい遊びにいって、いろいろな話をしたけれど、何を書こうかな。
今回はちょっと、名言録3選をまとめてみようと思います。

***

○○りん名言録その1:「ほんとに知ってるっていうのは、<なぜ>というところも含めて知ってるということ」

竜一の話になって、サイエンスなんちゃら。(※とかいう、去年あたりからの新制度。)
いまアマゾンから、色んなものが届いてるんだよ。オタマジャクシとか。…
「オタマジャクシ?」
「たとえばさ」…

オタマジャクシって聞いて、子供の頃の、苦い思い出がよみがえる。
9才くらいのとき。
カエルが好きで、よくつかまえて遊んでいた。
春に田んぼに水が張る頃、オタマジャクシが生まれてきて、水の中をすいすい泳ぎ回って、やがて田んぼがすっかり緑になる頃には、カエルになる。
あるとき、オタマジャクシから飼ってみようと思って。
人工的な環境でオタマジャクシからカエルまで育てるのは難しいって、図鑑での知識はあった。
でも、住んでる田んぼの泥や水ごと水槽に入れておけば、環境はそう変わらないのだし、勝手に調和水槽になってうまくまわってゆくだろうと思ったの。
でも、そううまくはいかなかった。
飼い始めて数日もしないうち、大方死んでしまって、水の中でひっくり返っていた。
ほんとに繊細な生き物で、わずかな変化にも耐えられないのだった。
それ以来、カエルを飼うのはきっぱりとやめた。
つかまえるのもやめて、見るだけにしてる。

そんな話をすると、K先生も自分の経験を話してくれた。
竜一から別の高校へ転任したあと、生徒たちと、ヤゴを飼育していたんだって。
やがて脱皮してトンボになるわけだが、はじめ、それ用に、水槽の周りに平たい石を置いてやっていた。
でも、それだと、そこにたどり着くまでに力尽きちゃうんだよ。
あれは可哀そうなことしたな。
それでそのあと、水の中から登ってこれるように、水槽の中に割りばしを立ててやったんだ。
そうすると、登りながら、重力を利用して脱皮するんだ。
ああ、こうやって脱皮するんだな、と思ってね。
知ってると思ってたのと、ほんとに知ってるっていうのはこうも違う。
ほんとに知ってるっていうのは、<なぜ>ってとこまで含めて知ってるってことなんだ。

***

○○りん名言録その2:「先生のほうも、生徒に教えられて成長するんだよ」

これは、私がどんなふうに竜一の雰囲気を好きだったかっていう話を、うんうんと聞いてくれていたとき。
個の尊厳を重んじてくれたこと、多少問題があったとしても基本、信頼してほっといてくれたこと。
「それは生徒たちがそもそもよくできた子たちだったからだよ」って。

なんか、そういう話を英語のK先生にもしたし、こちらのK先生も同じようなこと言ってた気がする。
ほんとに私、竜一に来てから、教育の場ではじめて「あ、なんか私、ここでは人間扱いされてる!」って思ったのよね。
ひとりの人間として、敬意をもって扱われていると感じた。
どうでもいい形式的なことでごちゃごちゃ言われることがあんまりなくなって、すごい、ストレスフリーだった。

それまでは、ひとりの人間と見なされてなかったもん。
管理の対象だった。
ブタ小屋のブタみたいなものだ。
小中の先生たち、基本、悪い人ではなかった。
ブタである我々に対して、親しみや情愛をもって接してくれたと思うよ。
でも、そこに敬意はなかった。
そういう発想が、そもそもなかった。
敬意っていうのは、ブタの所有者や、ブタ小屋の管理人であるところの、保護者や、上の偉い人たちに対するものだった。
ブタといって差支えがあれば、牛でも羊でもいい。

そういうの、先生の服装なんか見ててもほんとに感じた。
小中では、先生たち、ふつうにジャージで授業してたもん。
で、授業参観のときとか、偉い人が視察に来るときだけ、スーツやきちっとしたスカートを履いてくる。
それが当たり前なのでどうとも思ってなかったけど。
ほんと、露骨だったな、いま思うと。
でも、考えてみたら、生徒が制服着てるのに、先生がジャージって、変よね。

竜一に来てね、とくにK先生なんか、ほんとにいつも、きちんとスーツを着て、ネクタイを締めて授業していて。
そういう人が、多かった。
さいしょ、なんか、びっくりした。
だれも授業見に来ないのに、常にその格好なんだ。
そして、その敬意は、我々生徒自身に対して向けられたものだと感じたんだよね。
ここでは我々は、ブタ小屋のブタじゃない。
人として尊重されている、と感じた。
それはほんとに気持ちのいいものだった。

先生も、生徒に教えられて成長する -
そんな発言も、意識のなかでじっさいに、生徒に対して敬意をもって向き合ってくれていたからこそ、と思う。

***

○○りん名言録その3:「数学が好きだから教員やってるんじゃない、人が好きだからやってるんだよ」

これは、おととしのことば。
例の進法についてのめんどくさい論議を持ち出したら、やや逃げ気味に言われたんだけどw ほんとのことだと思う。

ちなみにその、2桁以上の引き算で「となりの位から借りてこないですませられないか問題」の結論ですが。
K先生はさいしょから分かってたと思うけど、私は頭が悪いので、2年くらいかけてやっと答えが出まして。

「10進法以外で、となりの位から借りてこずに引き算できる進法とは?」という命題。
その答えは、たいへんシンプルなものでした。
あれは要するに、毎回、引かれる数のほうの進法で考えればいいわけですよ。
たとえば、14-7だったら、14進法で考えればいいわけ。
そうしたら、となりの位から借りてこないですみます。

ただ問題は、14進法は10進法とはちがうわけだから、1から14までの、10進法で使われてるアラビア数字とは別の、あらたな数字のセットをひと揃い、作り出さなきゃいけないわけです。

それがまぁ、14くらいなら何とかなるでしょうよ。
でも、数字がどんどん大きくなって、たとえば
19, 555, 284, 347, 112, 120 - 299, 392, 100, 156
とかになったら。
19, 555, 284, 347, 112, 120個分のあらたな数字を作り出すって、天文学的な作業になってきます。
そんなふうに、数式ごとにいちいち引かれる数の進法を作り出していたら。
それこそ、ラテン語の動詞変化どころの騒ぎじゃなくなります。
それに、計算式はどうやるのって話。
横に長すぎて、壁、突き抜けるわ。いや、それどころか、大気圏まで突き抜けそう。

そういうことがあるから、あらゆる引き算について、やっぱり10進法を共通語として、ちょっと感じ悪いけど足りないときはとなりの位から借りてきて、っていう手法が、結局合理的なわけです。

ここに思い至って、ようやくその合理性を認識した私。
このことを、小学1年生のときに説明されてたら、納得しただろうか。
まぁ、無理だろうな。
それでもやっぱり、「となりから借りてくる」っていうのがどうにもやっぱり気持ち悪い…。
生理的なものですからね。
「納豆、どうにも苦手」みたいなもんでしょうね。

ともあれ、そんな文脈で出たコトバではありますが、K先生、「人が好きだから」というのはほんとだと思うの。
数学も、もちろん好きなのでしょうけど。
昔からのゴシップ好きも、つまりは、そういうところから来るのでしょうね。
とっても平衡の取れた、健全な感覚をもった人だと思うし。

私が竜一でお世話になったような、こういう人たちが管理職の立場にいてくれるのって、うれしい。
誰が上に立つかで、ほんと、大違いだもの。
こういう人たちのもとでなら、たいがい組織もうまく回っていくし、問題も理にかなった仕方で解決されていくんじゃないだろうか。
まぁ、校長先生の一存でどうにもならないことも、あるのかもしれないけど。。

去年、二度目に遊びにいったときは、「3時から面接の練習があるから」って言ってたな。
就職面接の練習に、立ち会うだけじゃなくて、じっさい先生が面接官役を務めるのだという。
校長先生に面接の練習つきあってもらえるなんて、ぜいたく。

色んな先生たちと話していて感じるのは、いまは、校長先生と生徒たちの距離がずいぶん近いんだなぁ、ということ。
英語のK先生はいま教頭先生だけど、生徒のカウンセリングをしてるとか言ってたし。
O先生は高校演劇の発表会にわざわざ足を運んでいたし。
みんな、生徒のことを個人レベルで知っている感じ。
私たちの頃は、校長先生と個人的に話すなんて、なかったな。校長室がどこにあるのかさえ、よく知らなかった。

K先生、今年から、また別の高校に転任になった。
折からのコロナ禍で集会が開けず、式も放送で行うので、いまだに生徒たち、あたらしい校長先生の顔を知らないそうだ。
廊下を歩いていても声をかけてもらえず、寂しい思いをしているそう。
それはなかなかキツイなぁ。そもそも、変な話だなぁ。
オンライン集会とか、やればいいのに。
と思いつつ、しょんぼりしている先生の顔が浮かんで、ちょっと微笑ましくなってしまう。

こんな夏の迎え方をするなんて、去年の今ごろ、だれが想像しただろう。
かつてない夏。
いまだ状況は厳しいようだ。
なんとかみんな、元気で乗り切れるといいけど。




















  

Posted by 中島迂生 at 19:00Comments(0)高校の話 2020

2020年07月28日

高校の話~14 思い出はネコバスに乗って~


画像:O先生

白幡台の上空には、たまにネコバスが出現するらしい。
とくに風の強い日には。

自転車置き場のうしろには大きなケヤキの木立があって、
風が吹くとざわざわさわぐ。
あの日、O先生が授業中に窓の外を眺めながら、
「今日はネコバスがいっぱい飛んでますねー」と言ってこのかた。
風が吹くたび、かなたの空をネコバスが駆け去ってゆく気配を感じるようになった。

あの頃国語の授業を受けていた私たち、毎日のように先生の愛娘、ななちゃんの話を聞かされていた。
のちには妹のかおるちゃんも加わって。
あまりしょっちゅう聞かされるので、なんだか会ったこともないのに半分家族みたいだった。
みんなそう感じていたと思う。

緑濃い白幡台の木々たち。
トトロ的な舞台背景も相まり、幼い姉妹の面影はそこらじゅうにあって。
いつしか、私の中ですっかりメイとサツキの像と重なっていた。
ちょうどあの頃、ふたりの歳もそれくらいだったのじゃないかな。
ちょっぴりお姉ちゃんのサツキと、物心ついたくらいのメイと。
顔立ちもなんとなく、想像のなかで出来上がっていた。
きっと、ななちゃんのほうはパパに似てくりっとした瞳で。
かおるちゃんのほうはママ似かな、ママの顔知らないけど。

高校時代の大半、やれ予習しろ、復習しろとみんなのお尻を叩いてまわっていたO先生。
いざみんなが目の色変えて勉強しだす3年も後半になると、一転して、反対のことを言い始めた。
人生、勉強がいちばんの重要事じゃないですからね。
ひとは人間性がいちばん大事ですよ。
それから、トトロ、まだ見てない人は、ぜひ見てくださいよ。
それくらいの心のゆとりは持ちなさいよ。…

…あれから長い月日が流れて。
おととし遊びにいったとき、すっかりおとなになったななちゃんとかおるちゃんの写真を、先生は見せてくれた。
二人とも元気で、うれしかったな。
うん、やっぱりななちゃん、どっちかというとパパ似かな。。
相変わらず親バカ全開で、ふたりの近況も。
もっとも、先生が親バカなのは、実の娘さんに限ったことじゃないけど…。

フランスに戻る少し前、さいごにもいちど、先生が当時いた学校に遊びにいった。
ひとしきりあれこれ喋ったあと、先生はスマホを取り出した。
「これ、妹の結婚式のときの写真。ちょうどきのう、妹が送ってきたんだよ」
「へえー。妹さんの結婚式のときの?」
なんと、あの頃の、小さい頃の、ななちゃんとかおるちゃんの写真だった。
メイド・オヴ・オナーみたいなお揃いの白いドレスを着て、おめかしして写っていた。
まさに、私の頭のなかで出来上がっていたふたりのイメージそのもの。
ななちゃんのほうはパパに似て、くりっとした瞳で。
かおるちゃんは切れ長の瞳で。

「ふしぎだな、何でまたきのう、よりによってこれを送ってきたんだろうな」
妹さんは、私が今日、先生のところに遊びに来ることを知らなかったそうだ。
先生、ほんとにふしぎそうで、首を傾げていた。
まぁそんなこともありますよ、と私は笑った。

ネコバスはたぶん、こことあちらだけなく、過去と現在も行き来できるんじゃないかな。
きっとあの日、夜明けの夢のまどろみの中で、ネコバスが妹さんの耳元に囁いたのだ。
あの子、そろそろ帰るらしいよ。
ふたりの写真を、ちょっと送ってやってよ。…

あれからまた季節が巡って、先生はいま、再び竜一に戻っている。
いま、日本は梅雨。
高校のころは自転車だったので行き帰りがやっかいだったけれど、
ほんとは日本がいちばん美しいのは梅雨の時期かもしれないな、と思う。
5月6月のみどりの田んぼが大好き。
だけど、ここもう何年も見られてない。

竜一の、ユリの木とかのある、入ってすぐの植え込みのところ。
あの景色、3階あたりの窓から眺めるのが好きだった。
あの眺めも、梅雨のいまの時期がいちばん綺麗だと思う。
しとしと雨に包まれてすくすく枝を広げていくのが見えるようで、
窓ガラスにまで木立の緑が滲みてくるようで。

…あの眺めをいま見られないのが残念です。
よかったら一枚パチリとやって、送ってくれませんか。
そう、先生に書き送ったら、すぐに写真が送られてきた。

メールありがとう。
実は昨日、梅雨の真っただ中のような雨ふりで、
4時間目に3階にある3年D組の授業で外を眺めながら
ユリノキやメタセコイヤを生徒に紹介していたところです。
ネコバスもうんと走りまわっていましたよ。
画像は隣の先生に教えてもらいながら送ります。
元気でね。…

心の目に浮かぶ梅雨空に、にかっと口開けたネコバスの
くせありげな笑いが広がった。
そのままネコバスは弾みをつけてジャンプして、
ぐんぐんと高みへ、雲突き抜けて駆け去っていった。





















  

Posted by 中島迂生 at 03:03Comments(0)高校の話 2020