2009年11月08日

マクガハンの妻の物語(普及版)

愛蘭土物語(あいるらんどものがたり) クレア篇7
マクガハンの妻の物語 Story of Mrs. McGaghan 普及版
ミルトン・マルベイの物語
2009 by 中島迂生 Ussay Nakajima

 石垣のそばでうそをついたり、人を呪ったりしてはいけない。
 縁起が悪いからね。・・・

 アザミやかもじ草にうずもれてひっそりと道を守りつづけている石垣には、石垣の妖精がいる。
 小さい野ネズミや鳥たちの守り手、悪いやつが通ろうとすると道をふさいでしまったり、別の場所に行く道に変わってしまったりする。

 ふだんはしれっとして石垣の隙間で、石の一部になってうとうと眠りこけている。
 それでも、誰が通ったかちゃんと知っている。
 旅人は見られていると感じる。
 灰色の毛に覆われて、遠目に石と見分けがつかないが、じっと見つめているとときどき動くので分かる。

 ずんぐりとして、狼のようにとがった耳をもち、長い、黄色い目をしている。
 鞭のように長いしっぽがあって、踏みつけられると何でも約束して自由になろうとするが、踏みつけたやつはあとで手ひどいしっぺ返しを食らう。

 人々がさいしょに石垣を築いたときから、そいつはずっとそこに住んでいる。
 石垣が壊されるとどこかへ行ってしまう。・・・


             *


 クレア州海ぞいの小さな町、ミルトン・マルベイ。
 今でこそウィリィ・クランシィの名前で有名になったが、いまも一年の大半は閉じた輪の中をめぐるように、人々の暮らしは淡々としずかだ。
 その周囲には独特のもの淋しい、それでいて奇妙に人を惹きつける荒涼とした風景が広がっている。

 曇り空の下で風に吹き分けられるメドウ。・・・
 灰色の空を背景に、吹きちぎられる白い煙突のけむり。・・・

 百年前よりもっと前、海ぞいのこの町が、いまよりずっと貧しい、ほんの小さな村だったころから、その頃からこの土地は愛されていた。

 この土地への強い愛と誇り。・・・
 たえず潮風に吹きさらされて、風にたわんだその形に育ってしまった木のように、辛苦そのものが習い性となってしまったかのように。
 貧しさに疲れ、労働にすり減らされながら、なおも生涯をかけて彼らはこの土地を愛した。・・・
 これはそういう人々の物語だ。・・・

 
 昔、その村のはずれに住んでいた、貧しい農夫とその妻があった。
 子供はなかったが、ふたり力を合わせて堅実に、幸せに暮らしていた。
 ダニエルとレーナ・マクガハン、なにかそんなふうな名前だった。

 あるとき、妻の方が原因不明のふしぎな病気にかかった。
 体じゅうに苔のような白い斑点ができて、高い熱にうなされ、身を起こせないほどに弱って床に就いてしまった。
 町から医者を呼んで診てもらったが、こんな症状はだれも見たことがなく、だれにも手を打つすべがなかった。

 農夫は絶望に打ちのめされた。
 ある日、野良から戻ったとき、自分の家の石垣のところで何の気なしに立ちどまり、思わず溜め息をついて独り言を言った。
「ああ、神さま。どうしてこんなことになったのでしょう。
 まじめに働く者には、よくしてくださる方だと思っていましたのに。」

 すると、それを聞いていた<石垣の妖精>が彼に話しかけた。 
「彼女をよくならせてやりたいと思うかね」
「それは、よくならせてやりたいとも」と、農夫は答えた。
「お前さんの命に替えてでも、助けてやりたいかね」
「もちろん、助けてやりたいとも。あれなしに生きていても、何のいいことがあろう」と、彼は答えた。

「それなら、その方法を教えてやろう。
 家に入ったら、彼女の髪の毛をひと房切り取りなさい。そして、今晩、時計が夜中の十二時を打ったら、それを持って村の十字路へ行くのだ。そこでお前は時計と反対回りに七たび回って、主の祈りを逆さに唱え、髪の毛の房をそこに置いてこなければならない。三日のうちに、彼女はすっかりよくなるだろう」

 ところで農夫には、主の祈りを逆さに唱えるなど冒讀的なことに思えたが、このさい仕方ないと考えることにした。
 家に入ると、妻は眠っていたので、その髪の房をそっと切り取った。
 そしてその晩、時計が十二時を打つと、体がぞくぞく震えるのをつとめて抑えながら村の十字路のところまで出ていって、妖精に言われたとおりにした。

 三日とたたないうちに、農夫の妻は熱がひいて身を起こせるようになり、やがてすっかりよくなった。
 ところが、それと時を同じくして夫の方がそっくり同じ病にかかり、ほどなく死んでしまった。
 妻は、病み上がりにして喪服に身を包むはめになった。

 やせこけて、体じゅう白い斑点に覆われたその亡骸は、ぞっとするほど醜くて、見るに耐えなかったので、その顔には布がかけられた。
 妻は、ショックで真っ青に震えて、口も利けないほどだった。

 だが、男手がなくなって、すぐにもやらなくてはならない仕事がたくさんあった。
 農夫が残したわずかな畑や羊の世話を、彼女は何とかひとりでやりきろうとしたが、女の手には余ったので、やむなく人を雇った。
 レース編みの技術をもっていたので、人の注文を受けて手仕事をして、それで生活をまかなった。
 
 村人たちは、表立ってはのけ者にしなかったけれども、やはり何となく気味悪がって、進んでは彼女と仲よくしようとしなかった。
 彼女の方ももともとおとなしい性格だったうえ、そんなことがあって、ますます人目を避けて、ひっこんで暮らすようになった。
 教会の礼拝にも、人と顔をあわせなくてすむよう、いつも始まる直前に入ってきて柱の陰でひっそりと説教を聞き、終わる少し前にだれより早く、そっと出て行ってしまうのだった。

 彼女のレース編みの腕はすばらしかったので、注文の途切れることはなかった。
 けれども、人々はこと赤ん坊の産着や花嫁衣裳に関しては決して彼女に頼もうとせず、遠くの町に注文するのだった。

 村の神父は人けの少ない時間に彼女を家に呼んで、告解を聞いてやった。
「あなたに責められるべき点は何もない。あなたは以前と変わらない、神の浄い子羊で、我々の大切な仲間だ」と彼は言った。
「だが私は、あなたの夫のことを残念に思う。事を起こす前に、私に相談してくれればよかったのに、と。
 まことの主から出るのでない力は長続きしないし、日の光のもとに堂々と引き出すこともできない。
 気をつけなさい、あなたの夫が言いなりになったので、彼らはあなたに対しても弱みを握っていると思っている」

 そしてまた、彼は言った。
「この村にこのまま暮らすのは、あなたにとって辛いことに違いない。
 あなたには、ダブリンに暮らす甥の家族がいる。彼らのもとに身を寄せることを考えてみてはどうか」

 レーナはしずかに神父を見つめ、ゆっくりと首を振った。
「私はこの土地で生まれ、この土地で身をあがなわれたのです。
 夫のしたことは賢明でなかったかもしれませんが、夫がそれをしたのは愛ゆえなのです。
 私のために死んだ夫の記憶のために、どれほど辛くても、私はこの土地に生涯を全うするつもりです。
 私の死後については、甥に遺言を書き送ってあります」
 気丈な妻は、そう答えるのだった。

 神父はそれ以上無理には勧めなかった。
 けれども、それからも折に触れ、目立たぬよう注意しながら彼女のことを気づかってやった。

 何年も何年も、閉じた輪の中をめぐるように変わりのない、しずかな村の時間が流れ去った。
 彼女はずっとひとりで暮らしていた。
 その窓辺には、夜ごとろうそくの光のもとで、一心に美しいレースを編みつづける彼女の姿があった。
 小さい、粗末な家は、いつもきちんと整えられ、女のひとり居のこまやかな、慎ましやかな空気に包まれていた。

 時たつうちに当時のことを知るものはひとりまたひとりといなくなり、時たま人々の口にのぼる、昔のうわさ話にすぎなくなった。
 近所の女たちは、注文したレースの品を取りに来て、彼女の戸口で長話をした。
 何くれと相談ごとをもちかけられることもあった。彼女の口の堅いことは、誰もが知っていたからだ。
 近所の子供たちは彼女にかわいがってもらったし、炉端にはいつも猫が、彼女のうちのも、そうでないのも一緒にくつろいでいた。
 それでも彼女はやはり人前に出ようとはせず、ひっそりと影のように暮らしていた。

 かなり年をとってから、彼女は穏やかに、眠るように息を引き取って、村の墓地に葬られた。
 ダブリンから甥が呼ばれて、葬儀に参列した。
 説教したのは同じマイケル神父だった。もうずいぶん年老いていたけれども。
 それから、彼女の遺言によって、家も、家のまわりの石垣もすっかり打ち壊されて、土地は売られた。

「こんなことをするのは私の本意ではないのです。
 私の家族のうち誰かが、この敷地を引き継げればよかったのですが」
と、甥は悲しげに打ち明けた。

 その日、甥と神父は、マクガハンの敷地をともに歩き回りながら話を交わしたのだった。
 彼らの傍らでは、人夫たちがせっせと打ち壊し、崩した石を荷車に乗せて、忙しく運び出していた。

「彼女の生涯に、恥ずべきところは何もない」と、マイケル神父は甥に言った。
「彼女は、たいへん強くて、りっぱな女性だった。
 こんな悪魔祓いのようなことをするのを、彼女自身の汚れのためと考えてはいけない。
 レーナは、自分が亡くなるまでは口外しないようにと前置きして、私に話した。
 彼女の名誉のために、いまそれをあなたに話しておきたい。
 
 あの妖精は、彼女の夫が死んだあと、恥知らずにも彼女に言い寄ったのだ。
 レーナは、当時もすでに若くはなかったが、人を惹きつける独特な美しさがあった。
 それでやつも心惑いしたのだろう。
 だが、彼女はもちろんキリスト教徒だったし、死んだ夫への操を立てて、聞こうとしなかった。
 それであの妖精から、長いこと色々といやがらせを受けて、それをひとりでずっと耐えていたのだ。

 石垣の精であれ何であれ、妖精にもいろいろいるが、彼女の病を救ってやったあの妖精は、どうやらあまりいい種類のものではなかったらしい。
 主は我々を救おうとするとき、だれかほかの者の命を引き換えに要求したりせず、自ら命をなげうってあがなってくださった。
 真の親切とは、無償であるべきなのだ。

 私はむしろマクガハンの夫の方の魂を心配しているのだが・・・我々は彼もまた主の祝福を受けて眠りについたと、信じようではないか。
 愛ゆえにすることなら、すべては許されるはずだから」

 甥は、宿へ戻る前にまわり道して神父を家まで送っていった。
 別れぎわ、彼は神父の手を握って言った。
「あなたと話せてよかった。おかげで、心が晴れました。
 これでおばのことはもう、何も心配ありません」

 翌朝早く、灰色の毛で覆われた奇妙な生きものが、運びのこされた石積みの山のかげからとび出して、牧草地を超えていった。
 ずんぐりして、狼のようにとがった耳をもち、長いしっぽを生やした生きものが。・・・
 ふり返って、レモン型の黄色い目に怒りと恨みをたたえて眺めやり、それから去っていって、二度とは戻ってこなかった。
 今ではマクガハンの家が村のどこにあったかさえ、だれも知らない。・・・

 あざみやかもじ草にうずもれて、ひっそりと道を守る石垣には、石垣の妖精が住んでいる。
 マクガハンの家の石垣に住んでいたやつはもういないが、そのほかの場所ではどこでも、石垣のあるところ、そこには石垣の精が住んでいる。
 石のあいだに身をひそめ、片目でしれっと眠りこけながら、もう片方の目で道ゆく者どもをじっと眺めやっているのだ。・・・
















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