2009年06月25日

エデンを逃れて~中島迂生のキリスト教的背景~

 前の話の流れで、ここで少し、中島迂生のキリスト教的背景について記しておく。
 なんか気が重い。ほんとはあんまりヒトの悪口、言いたくない。
 でもたぶん、<エニス>つながりで、もういちどここでこれを書いておいた方がいいだろう。

 中島家は、ひいじいちゃんの代から三代つづくキリスト教の家系だ。
 それが私の代で途絶えてるわけだが。
 みんな自分の子供には強制しなかったので、それぞれ大人になってから自分でクリスチャンになったのだ。
 しかもそれぞれ宗派も違う。
 曽祖父がギリシャ正教で、祖父母と母はプロテスタント系だ。
 うちにクリスチャンたちが出入りするようになったのは、私が4才くらいのときだった。
 なんだかイヤなものが近くにやってきたなぁ・・・という感じがした。
 私の育てられた宗派はとても厳格だった。
 うちには旧約聖書の重苦しい雰囲気が垂れこめていた。
 神は嫉妬深い圧制者で、こちらの魂のさいごのひとかけらまで明け渡すことを要求してきた。
 神は愛だといいながら、自分に従わない者たちを結局は殺すのだった。
 終末は明日にでも来る、早く神の側に立場を定めないと滅ぼされると、いつも脅されながら育ってきた。
 もちろん、自由恋愛なんか許されない。
 十九世紀のボストンみたいな環境だった。
(だからナサニエル・ホーソーンなんかにいたく共感する。)

 ごめんね、悪口言って。
 あたしは別に、自分の育てられた宗派が狂信的だと言うんじゃないんですよ。
 彼らは聖書どおりのことを言ってたにすぎない。
 どんなにシロップで薄めてみても、結局キリスト教っていうのはそういう教え。
 それは唯一の正義だった。
 けれど、私はそれが、ぞっとするほどキライだった。
 
 私がもっとも恐れ、また心配していたのは、(自分個人が息苦しくやってられないっていうのももちろんあったけど)
 それが文学的価値をさいごには押しのける、認めようとしない、ということだった。
 私がものを書き始めたのは6才くらいのときで(さいしょはアルフ=プリョイセンのパロディだった)、作家を志したのは10才のときだった。
 文学ほどすばらしいものがこの世にほかに存在するはずがない、と早くも決めつけてしまった。
(そして今でもそう思ってる。)
 本を読んだりものを書いたりすることは、うちではあまりいい顔をされなかった。
 ファンタジーとか題名に<魔法>とかついた本を読んでると、「そういうのホントはいけないのよ」、と言われた。
 文学は背徳であり、禁断の果実だった。
 堂々と楽しむことは許されない。
 見過ごしてもらっていた。
 ホントはいけないものを、肩身の狭い思いでこっそりと楽しまなくてはならなかった。
 キリスト教の教えが、神にとって役に立たない楽しみごとをことごとく非難するので、母親はクリスチャンになってから絵を描くことをほとんどやめてしまった。
 ほんの時たま絵筆をとるとき、自分に言い訳しながらやっていた。 
 そうやって芸術をなにかうしろめたいもの、かりにも存在を許されるなら全面的に神のくびきに服さなければならないものと位置づけるキリスト教のやり方、それを私は心底から卑劣と思った。

 どんなにキライでも簡単に捨てられなかったのは、それが正しいと思っていたからだった。
 この世には、悪や不条理や悲惨なことがあまりにも多すぎる。
 この世が救われなければならないことは明白だった。
 そしてこの世を救うのは、人間の力ではちょっと無理だろう。
 それは神にしかできないだろう。
 そのことに私も異論はなかった。 
 その教えどおり、この世が終わって神の正義が全地に行き渡る日が来たら、
 不条理や不平等はなくなって、戦争や環境破壊もなくなって、幼くして死ぬ子供たちもいなくなって、みんなが平和に暮らすことだろう。
 そりゃそうだろうけど、果たしてそこに文学の宿る余地なんか残ってるだろうか?

 いや、アダムとイヴが楽園を追われたときにはじめて生まれたのが詩であり芸術であるなら、人類が再びそこに迎え入れられるとき、彼らはそれを捨てていかなければならないだろう。
 神を受け入れるとなれば、ほかのすべての価値、妖精とかユニコーンの存在を(そのイデーとともに)捨て去れなければならない。
 しかし、そんな残酷なことに誰が耐えられようか。
 人類の幸福と引き換えに文学や芸術が死に絶えてしまった世界で、なお生きたいなんて思うだろうか?

 仮にもし、私ひとりが犠牲になって、身を切られる思いで文学を捨て、神の厳格な基準に従って生き抜けば、ほかのもろもろのすばらしい文学や芸術の価値を神の横暴から守ってやることができて、その安泰が保証されるのだとしたら。
 そうだとしたら、私は喜んでそうしただろう。
 だけどそうではないのだから。

 この問題は、中途半端に逃げるだけでは、解決しない。
 それはいつまでも私のあとを追っかけてくるだろう。
 私はいつか、正面から立ち向かって、戦わなければならないだろう。
 それが小学生くらいのときから、私の最大の、いちばん切実な悩みだった。
 私の周りにはそれまでずっと、そんなことで悩んでる人間はいなかったから、私はずっと孤独だった。

 大学に行って、ヨーロッパのもの書きやアーティストの多くが、歴史を通じて自分と同じことで悩んできたことを知った。
 ものすごい、大きな慰めだった。
 私はこの問題を考え抜いて自分の立場を定めるのに、青春時代の5年間を費やした。
 それは結局、卒論のテーマともなった。

<エニスの修道士>はほんの小編に過ぎないけれども、これを書き上げられただけでも、私は自分の戦った戦いの報いを得たと思う。
 というか、それがあってこそリアリティをもって書けたのだと思う。
 というか、たぶんいちばん正確には、この物語を誰かに手渡そうとして、エニスの橋のところで千年も待っていた精霊がそれを知っていて、こいつなら書けそうだと思って渡してくれたのではないだろうか。

<エニス>は、自分を神の側に置いていては書けない冒瀆的な作品だ。
 ある作品が、キリスト教的見地からして許されるかどうかは、そのもっている視座というか、視点によって決まる。
 必ずしも話の筋には関係ない。
 どんな罪を描いていようとも、そこに神の視点があってそれを断罪しているなら、それは許される。
 けれど、<エニス>の視点は神の正義を押しのけて、詩の価値を擁護している。
 だからそれは冒瀆的なのだ。
 
 いま自分の戦いのあとをしずかに振り返り、私はしみじみと、いい敵をもったなぁ、と思う。
 人は飛び立つとき、それを引きとめようとする何がしかと戦って、捨てて、飛び立ってゆくわけだが、
 そしてそれは多くの場合、親だったり恋人だったり、祖国だったり文化だったりするわけだけど、
 私はさらに偉大な存在を敵として持ったのだ。それは一生の財産となるだろう。
 この戦いの刻印は、どこへ行っても、私が強くあるためのお守りとなるだろう。

 ルイス・ブニュエル。
「私が無神論者でいられるのも、神様のおかげです」

 そう、私も今では感謝している。
 あんなふうに反逆して、出て行ってなお、私が好き勝手に生きるのを放っておいてくれて、
 しかもひきつづき、こうして命を与えてくれていることに。

 感謝というのは、無償で与えられてこそ、するものだ。
 少なくとも、私にとってはそうだ。
 服従だの献身だの、そんなとほうもない代価を要求されては、いったいどうやって感謝などできるものか?

 私は今でも無神論者ではない。
 げんに存在するものを、否定してみてもあまり意味はない。
 神はもちろん今も天にましまして、私のことを明日にでも滅ぼしてやろうと思って頭に来ながら見ていることだろう。
 それでいい。
 こうして今日いちにち、心のままにものを書けることを、愛する文学とともに在れることを、私は感謝している。
 そうして命ある限り、悔い改めたりしないで、このまま愛して、生きていく。

 Let me fly, live and die
   in the brightness of my day.

   ---Skyline Pigeon Fly.


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Posted by 中島迂生 at 02:19│Comments(0)初演備忘
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