2009年06月25日
アレキサンドリア~なぜアイルランドなのか~
次のステージに進む前に、今まで走ってきたところをちょっと振り返ってまとめておいた方がいいと思う。
時間食うけど、後片づけの一環としてこれをやっておいた方がいい。
というわけで、これから何回分か、3月のフェスと初演の備忘を記します。
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○アレキサンドリア
まず、3月にやったフェスに関連して、「なんでアイルランドなの?」って訊かれることが多いので、この辺でちょっとそんなことを記しておこうかと思います。
なんでアイルランドなの?
アイルランドに関わってる人で、こう訊かれると困ってしまうひとは多い。
あんまり自分で考えたことがないんだと思う。
なんだか、
「あなたって、どうして人間なんですか?」
とか、
「第二次世界大戦てどうして起こったの?」
って訊かれて、困ってしまうような感じ。
なんだろうな、自分から進んでアイルランドに関わってるというよりも、アイルランドの方がその人に用があって呼ばれちゃった、みたいな人が多いんだと思う。
自分の場合は、なんでなのかな。
うん。
ほんとは決してアイルランドだけじゃないんだよね。
ウェールズも好きだし。
イングランドももちろん。
スコットランドは行ったことないから分からないけど。
ブルターニュなんかも好き。
ポルトガルの辺境の島々とかにも惹かれる。
プロヴァンス。
ヴェンド地方。
東欧の国々。
好きなところ、行ってみたいところ、ほかにもたくさん。
さいしょにアイルランドに触れたのって、いつのときだろう。
小さいころって、世界地理なんかもちろん分かってなかったけど。
石井桃子編の<イギリスとアイルランドの民話>、モノクロの挿絵が素敵な黄表紙の本。
いま考えてみると、たぶんあれがさいしょだろう。8才くらい、かな。
ランゲの色別の童話集。あれにもアイルランド民話はいっぱい収録されている。
でも小さいころとりわけこよなく愛した2冊。
ソーヤーの<空を飛んだおんぼろ校舎>。原題は The Flying Schoolhouse 。
ドニゴールの貧しいけれどとても美しい村に住んでいた男の子が、アメリカへ移民したおじを頼ってひとりで旅に出る物語。
(あ、じっさいは「ひとり」とは言えないけれど。)
あのシリーズはほんとに良書が多かったと思うけど、この本はとりわけ大好きで、挿絵をトレーシングペーパーでなぞって描き取ったりしてた。それほど好きだった。
世界史なんか分かってなかったけど、今考えると、ドンピシャリ、アイリッシュ。
この本はフィクションだけど、著者は(アメリカ人なんだけど)イェイツのようにアイルランドの田舎をまわって採話したりしてた人。
もう一冊は、ヒルデ・ハイジンガーの<ティムとふしぎなこびとたち>。
著者はドイツ人で、コネマラを旅したときの印象をもとにこの本を書いた。
私が読んだのはたぶん9才くらいのときで、字が細かくてちょっと難しかったのだけれど、なんか好きだった。
12才のとき、ピアノの課題曲が<庭の千草>だった。あ、The Last Rose of Summer ね。
先生がさいしょお手本で弾いてくれるのを横で聞いてて、感激して、なんていい曲だろうと思った。
今でもギターで、ときどき弾く。
でも、アイルランドって国をさいしょに意識したのは、たぶんあのとき。
14才くらい。
そのころ、アフリカを舞台にした話を書いていて、ちょっと調べなければと思って、図書館の、それまで行ったことなかった棚、世界地理の棚のところへ行ってアフリカについての資料を探していた。
そのとき、なんだか「背表紙に呼ばれて」しまった。
手に取ったのが、まるで関係ない、Terence Sheehy の IRELAND and Her People という写真集。
ぱらぱらとめくってみると、そこにはのどかな田舎の景色が、道ゆく馬車の姿があった。
そのとき、なぜだか思った。
自分はこの国へ行く。いつか必ず、と。
でも、現実性はなかった。中学生がひとりでそんなこと思っていても。
お金はかかるし、制度的に器が整っていたわけでもないし。
で、そのことはずっと忘れていたわけですよ。ずっと、長らく。
シュタインベックの<チャーリーとの旅>のなかに、こんな一節がある。
「人が旅に出るのではない。旅のほうが、人を連れ出してゆくのだ。」
彼も、旅への理屈抜きの情熱を抑えがたく、しかも当時の私よりずっと年食ってから、わざわざトレーラーハウスみたいの仕立ててアメリカ全土をめぐる旅に出た人。
ずっとあとになって、じっさいアイルランドを旅しながら、この言葉をかみしめてた。
ほんとだよな。
忘れてたつもりでも、夢は必ず人に追いつく。
人が夢を見るのではない。夢のほうが人を連れ出してゆくのだ。・・・
それにしても、まさかあんなものが自分を待ってるとは思わなかった。
サマセット・モームの<月と6ペンス>。
この本に私は12才のときに出会った。
主人公ストリクランドの強烈に冷酷でわがままな生き方に、自分の姿を合わせ鏡で突きつけられたようで、すごい衝撃だった。
だけど、その主人公のメインストーリーとおそらく同じほどの深い印象を残して、ずっと覚えていたのがこの話。
話の中ではほんのみじかい挿話にすぎないんだけど、イギリス人のストリクランドが流れ流れてタヒチに辿り着いて、そこでやっと心の平和を見出すくだりを説明するためにもってきてる。
レールの上を忠実に歩んできた、将来を約束された優秀な医師だった男が、たまたま休暇で出かけて通りかかったアレキサンドリアで電撃的な啓示を受け、地位も名誉も富も捨ててそのままそこに居ついてしまう話だ。
それはこんなふうに始まる。
「世の中には、場違いのところに生まれてくる人々もあるものだ、という意見を私は持っている。偶然のことから、彼らはある特定の環境におかれることになるのだが、彼らの見知らぬ故郷にたいして、つねに郷愁を感じているのだ。彼らは、生まれ故郷では他国者であり、子供時代から知っている青葉茂る小道も、遊びたわむれた人ごみの街路も、けっきょく、通りがかりに足をとどめた場所にすぎない。近親のあいだで、全生涯を異邦人として過ごすこともあろうし、また、それ以外の環境というものを知らないくせに、永久にそれになじむことができないこともあろう。みずからを密着させることができる永遠な何ものかを求めて、人が遠くはるばると出かけてゆくのは、おそらく、このよそよそしさの感じのためなのであろう。・・・ときとして人は、ある神秘の情とともに、自分の故郷だと感じられる場所にめぐり合うこともある。ここに探し求めていた故郷があり、いままでに見たこともない風景のなかに、そしてまったく未知の人びとの中に、あたかも生まれて以来親しみ深いものであったかのように、落ちつくであろう。ついにそこで彼は安息を見出すのだ。」
(阿部知二訳)
アレキサンドリアで甲板から波止場を眺めるエイブラハム。
その映像を、子供のころに読んだ記憶のまま、私は映画のように思い起こすのだ。
青い空、陽光を浴びた真っ白な町並、民族も顔だちも雑多な行き交う群衆、などを眺めるうち、
「・・・なにかが彼らに起こった。・・・雷に打たれたようなものだった・・・啓示ともいうべきものだった・・・。なにかが心の中できゅっと締めつけられたように思われ、とつぜん一つの歓喜、すばらしい解放感が感じられた。ゆったりと安らかな気持ちになり、たちまち、その場ですぐに、これからの生涯をアレキサンドリアで送ろうと決心した。船を捨てるのにも大して面倒なことはなく、二十四時間たつと、持ち物全部をもって上陸していた。
・・・
『ぼくは、だれがどう考えようとかまわなかったよ。ああいう行動をとったのは、ぼくでなくて、ぼくの中にある何かもっと強いものだったのだ。あたりを見まわしながら、小さなギリシャ人のホテルへでもゆこうと思ったのだが、どこへゆけばそういうものがあるか、分かるような気がしたのだ。どこで、いいかい、そこをまっすぐ歩いていって、それを見たとき、すぐにこれだなと覚えがあった』
『アレキサンドリアには、前に来たことがあったのかい』
『いや。それまでイギリスから一歩も外へ出たことがなかった』
まもなく彼は政庁に入り、それからずっと、そこに勤めている。・・・」(同)
それはものすごく印象的な挿話ではあったけど、いつか自分にそれと同じことが起こるなんて、考えてもみなかった。
以下、サイト中の<創立のいきさつ>にも記していますが、抜粋してもういちど。
「創立者はもともと作家志望です。
子供の頃から作家になりたいと思いつづけてきて、今でもそう思っています。
好きな作家は色々な国にいます。とくにイギリス。
自分を育ててくれた文学を、生み出してきたそういう国々、イギリスやアイルランドやそのほかの土地に、いつかは行こうと思いつづけてきました。
はじめてじっさいに行ったのは2004年の夏のこと。
そこで何に出会ったかというと、なかなか言葉では説明しづらいのですが…
とくにウェールズとアイルランド、ケルトの地とよばれる当地で、私はそれまで経験したことのないような、たいへん強烈で、圧倒的なインスピレーション(文学上の)を受けたのです。
行く先々で大地の霊が私に語りかけてきて、5千年前、1万年前にその土地で起こった物語を告げてくれるかのようでした。
まるで空にスクリーンが張られて、映画のダイジェスト版のように次から次へとだーっとやってくるかのような。…あまりに圧倒的なので、少しこわくなったくらいです。
けれどもそのとき、・・・これがそれなのだ、いつか自分が書くように定められていたもの、そのために自分が生まれてきた使命なのだ、というはっきりとした感覚を得たのでした。
ほんとのことなのです・・・こういうふうにしか、説明のしようがないのです。
当地では別にフシギなことでもないらしいのです。アイルランドで、やはり物語が『やってくる』と言ってたひとに会ったことがあります。
ともかく、それから日本へ戻って以来、かの地で得た物語群を、私は書きつづけています。
アイルランド篇とウェールズ篇とあわせて30章ほどあって、いまの時点でやっと全体の半分くらいまで行ったところです。」・・・
こうしてインスピレーションの波を受けるようになったとき、
「あ、アレキサンドリア!」と思ったのです。
だからね、やっぱり・・・
ほんとは、別にアイルランドだけってわけじゃないんです。
大きく言って<あのへん>。
ケルトの土地。
いまの国境なんて、あとから引いたものにすぎないし。
民族は移動しつづけてきたのだし。
地霊たちにとっては、大した意味はないと思う。
インスピレーションは、アイルランドでも来るし、ウェールズでも来る。
行ったことないけど、スコットランドとかブルターニュでもほぼ確実に来ると思う。
そんなわけで、ほんとは別に、パトリックスデイだけにこだわるつもりはないんです。
ウェールズも私にとってはほんとに大切な国。
ウェールズの守護聖人の祭りとかもやってみたいし、ブルターニュのお祭りなんかもすごい興味ある。
あ、こんど5月に、都内にブルターニュ音楽やる人たちが来て、<聖イヴ祭>のイベントをやるそうですよ。
すごい気になってます。
とりあえずいまパトリックス・フェスをやってるのは、そうだな、いちばん身近だったから、ということになるだろう。モデルがすぐそばにあったのでやりやすかったんです。
大学に入って都内に移り住んだら、なんだかアイルランドが妙に身近なところになってて。
あちこちにアイリッシュ・パブがあって、アイルランド音楽のセッションをやってて、はじめ、変な音楽だなと思って興味もなかったのが、気がついたら自分でもやるようになってて。
毎年3月には原宿のパレードがあって、モーニングセッション→パレード見物→ライヴのはしご、っていうのが恒例になって。
そのうちアイルランドに旅行して、くだんの<アレキサンドリア体験>があって、ライフワークのものを書くこととアイルランドとが劇的な仕方で結びついて。
そのうち自分の思いとシンクロするように、つくばでも新しくアイルランド音楽やる人が何人も出てきて、つくばセッションが実現し。
そのうちパレードも見てるだけではもの足りなくなって、自分もスタッフとして手伝ってみたいなというのと、つくばでもやりたいなというのがほぼ同時に出てきて。
それで去年、2008年から、勢いだけで強引に始めてしまい。
正直、当時は認知度の低さとか、人手を集めることの難しさとか、あまり考えなかった。
なんて言うのかな、
えっ、この村には診療所もないの?→つくらなきゃ。
えっ、この交差点、信号ついてないの?→設置しなきゃ。
えっ、この町ではパレードもやってないの?→やんなきゃ。
みたいな感覚だった。
さいしょ、警察に道路使用許可もらいに行って、パレードの趣旨を説明したときも、「で、それは、何のためにやるんですか? 目的は?」と聞かれて、「さあ~、何のためだろうな~」と、考えこんでしまった。
そんなわけでですね。
つくばでパトリックス・フェスをやるにあたっても、自分的にはほんとはちょっと微妙な点とか、説明に窮するところというのがあるわけです。
こういうイベントというのは、地元では「地域の活性化」とか「地元を盛り上げよう」という文脈で紹介されたり、協力していただいたりといった場面が多いわけですが。
これはほんとにそういうものなのか?
土地というもの、身土不二、地産地消、それはものすごく大切で、健全なことだ。
私もできるだけ地元野菜買ってるし。
そして、つくばは、基本、とってもいいところだと思ってます。
だけど、このつくばでセントパトリックス・フェスをやる必然性ってなに?
アイルランドにキリスト教を紹介した聖人の命日を、何でつくばで祝うのか?
そう突っ込まれると、正直、答えに窮してしまう。ということに、最近、気がついた。
つきつめると、結局、・・・私がつくばにいるから。
ということになってしまう。
そして、・・・何で私はつくばにいるのか? ・・・アイルランドにいられないから。
ということになる。
結局つくばは私にとって、大した必然性はないんです。
ほかの大方の場所より、だんぜん好きではあるけれど。
この土地は私に向かってあまり語ってくれません。
筑波山を歩いても、牛久沼のほとりをめぐっても、大して物語はやってこない。
この土地はなんだか寡黙で不機嫌で、むっつりと黙りこくっている。
なんだかさんざん人間に踏みにじられてきて、すねて口をきかない子供みたい。
なんかそんな感じを受ける。
ごめんなさいね、決してつくばの悪口言うつもりはありません。
悪いとしたら踏みにじったやつらの方ですからね。
でも、私の力ではこの土地のコトバを聞き取れない。
この土地が何らかの磁波を発しているとしても、結局私のアンテナとはかみあわないのだと思う。
私の魂はこの土地には属していない。
正直、向こうにいるときの方が体調もいい。
旅行から戻って、親戚に会ったら、「外国に行ってるとふつう、慣れない環境やストレスでやせて帰ってくるものなんだけどね。太って帰ってくる人って珍しいね」と言われた。
・・・アレキサンドリア!! なのであります。
私の目下の夢は、アイルランドで享けた物語をアイルランドで、ウェールズで享けた物語をウェールズで、ゲール語やウェールズ語とはいわないまでも、せめて英語で出版すること。
そして、その土地その土地で享けた物語を演出して、バリリー座の興行をやって、享けたその場所で演劇として再現すること。
そうしてはじめて、それらの物語を授けてくれた土地の精霊たちに報いることができるんじゃないかと思ってる。
それが私にとっての地産地消であり、まさに地域への還元なのです。
私は結局自分の夢のために、つくばの人たちを巻き込んでいるだけなのかもしれないな。
今のところ人さまに説明するときは、地域の活性化というよりもむしろ、「つくばは国際都市だから、国際親善と文化交流のために!!」という紹介の仕方をしてる。
それが自分的にもいちばんしっくりくる。
そういうことがじっさい言える、つくばのあり方に感謝しなくては。
おかげでたぶんほかの地方都市でこういうことをやった場合より、わりとスムーズに受け入れられている面があると思う。
つくばフェスのあり方というのは、ほんとに今後の大きな課題です。