2018年02月09日

小説 ホテル・ノスタルジヤ(9) マリアン


小説 ホテル・ノスタルジヤ(9) マリアン 小説 ホテル・ノスタルジヤ(9) マリアン 小説 ホテル・ノスタルジヤ(9) マリアン

9.

 さいしょの日、メルバにいっしょに乗った小さな女の子、マリアンには、その頃一度だけ会った。
気になっていたので、近くを通ることがあると必ず寄ってはいたのだけれど。
 その日、久しぶりに市庁舎前の広場を通りがかったイレーヌは、なんとなくいつもの癖でメリーゴーラウンドのほうへ足を向けた。
 メルバがいなくなっても何ひとつ変わりはなかった。いつに変わらぬ華やかさ、アコーディオンの音色、宝石の飾りをつけた馬たちに、貝殻をかたどった流線形のゴンドラたち。…
「まるで遠い昔のようね」
 あの日のことを思い出して、イレーヌは独りごちた。
 しばらく眺めたのち、立ち去りかけて、ふと、思いがけなく見覚えのある子供の姿が目に留まった。馬たちの回るようすをじっと眺めていたのは、あのときの縮れ毛の女の子だった。
「マリアン!」
 思わず名前を呼ぶと、彼女はくるっと振り向いた。見開いた大きなまるい瞳が、不安に暗くなっていた。
「私のこと覚えてる、マリアン?…いっしょにお馬さんに乗ったわよね?…」
「メルバがいないの」消え入りそうな声で、マリアンは言った。
「…」
 イレーヌはそばまで行って彼女の目の高さまでしゃがみ、腕を回した。
「そう、今はいないわ。メルバはここで毎日回っているのがいやになっちゃんたんだって。もっと広い世界を見てみたいんだって。いまはちょっと怪我をしてお休みしているけれど、よくなったらきっとマリアンのところへ迎えに来るって」
「それ、ほんとう?」
「もちろん、ほんとうよ」
「…あとどれくらいかかる?」
「そんなに長くかからないはずよ。もうすぐよ」
 マリアンは黙った。
 イレーヌはふと不安になって、訊いた。
「マリアン、どうして今日はひとりなの? ママは?」
「今日はいっしょじゃない」
「マリアン、おうちはどこなの?」
「モンマルトル」
「モンマルトルからここまで、ひとりで来たの?」
 マリアンはかぶりを振った。
「ママンはいま、病気なの。それであたしたち、カトリーヌおばちゃんのところに…」
 そのとき、通りの向こうから鋭い声が怒鳴った。
「マリアン! 何してるの、早く来なさい!」
 黒い服を着た、背の高い大きな女の人だった。マリアンの母親ではない。ほかに何人か子供を連れているようだった。
 その声にマリアンはびくっとして飛び上がり、そのままぱっと駆け戻っていった。
 イレーヌはその場にひとり、唐突に残された--虚ろなアコーディオンの音色に乗せて、夢のように煌びやかに回りつづけるメリーゴーラウンドといっしょに。…

























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