2018年02月05日

ホテル・ノスタルジヤ(6)


  

6.

 翌朝、何やら訳の分からぬこんぐらがった夢の途中で目を覚ましたイレーヌは、ぼうっとした頭のまま、視界に映るいつもの部屋の壁紙を眺めた…が、どうも違和感があった。それはウィリアム・モリス調の、薄いグリーン地に白と桜色の花柄の優雅な壁紙だったのだが、その花柄が、どうもいつもより疎らな気がした。ところどころほとんど消えかかって、下地の薄いグリーンだけが残っている。
「え?…」
 目を見開いて頭を動かすと、視界のはじに、何やら夢中でモグモグやっているメルバの後ろ姿が。…
「メルバ! あなた何やってるの?!」
 ショックに一瞬言葉も忘れ、イレーヌはベッドの上にがばりと起き上がった。
 振り向いた馬の口からは白と桜色の花房が垂れ下がり…その端が巻き上がってすばやく口の中に消えた。彼は都合の悪いところを見つかった猫のように、小さくなって両耳を後ろに伏せた。
「あーあ!! ちょっとやめてよ、そんなこと…借りてる部屋なんだから! 壁紙の花模様を食べちゃうなんて!!」
 さいごのひと口がごくりと馬の喉を下って、メルバはばつが悪そうにもじもじした。
「だってどうにもお腹が空いて… 味は、悪くなかったですよ、ちょっぴり埃とカビ臭かったけど…」
 ナイトテーブルを見ると、イレーヌが持ってきた食事には手がつけられていなかった。彼女はまた大きな溜め息をついた。
「もーう!! 何だってまたこんな…」
「でもあなただって、イレーヌ、考えてごらんなさいよ」と、メルバは弁解した。「今日から、パンはもうありません、干草を食べなさいと言われたら、どうですか、あなた食べられます?」…

 その頃から、<ホテル・ノスタルジヤ>のまわりでは、ちょいちょい不思議な現象が起こり始めた。
 ムッシュウ・ブノワは中庭を通るたび、首を傾げながら振り返ってはまた眺めるのだった。庭に咲いたレンギョウの茂みが、どうも日に日に小さくなっていくように思われたのだ。
 近隣の住民たちも、窓を眺めやっては違和感に首をかしげた。庭や花壇の花々が、きのうはもっとたくさんあったように思えるのだ。
「あれ? こんなもんだっけね」と、彼らは互いに言い交わした。「クロッカスの株は、去年より多めに植えたんじゃなかったかい?…」
 ある晩遅く、煙草を吸いに階下へ降りていったジャンは、ユキヤナギの枝を両手に抱えてこっそり戻ってきたイレーヌとばったり鉢合わせした。
「現場を押さえたぞ!」と、がらがら声でジャンは怒鳴った。
「やっぱりあんただったんだな、花泥棒は」
「しっ!…静かにして!」 ああ…またジャンだわ、めんどくさい。こんな夜中に何してるのかしら、おとなしく寝ててくれればいいのに。…
「泥棒じゃないわ」イレーヌは言い張った。「仕方がなかったの、どうしても必要としている人がいるんですもの…」
 …というか馬が、と心の中でつけ足した。
「だが、あんたのおかげで近所じゅうが揉めてるぞ。交代制で夜回りしようという話になっている。ひとの敷地に勝手に入って、盗みを働いたのがうちの客だと知れてみろ。ブノワの親父の立場がなくなるぞ。少しは、奴のことも考えろ」
「でも…」イレーヌは途方に暮れてしまった。
「どう考えても、庭先の少しばかりの花よりも、生き物の命のほうがだいじだわ。それに人間は花を見て楽しむだけで、なくても死ぬわけじゃないんですもの。そうでしょ?」
 ジャンはむっつりとして黙ったまま煙草をふかしていたが、やがて吸いさしの火を揉み消して言った。
「悪事を働くなら、肝は、近場の海を荒らすなってことだ。何かと厄介の種になる」
「どういうこと?」…







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