2014年01月30日

孤独


   随想集Down to Earth-わが心 大地にあり- 散文編7

      孤独

     リンドバーグ夫人<海からの贈り物>をテーマに。

 ・・・そしてまたいつもの暗黙の諒解だった、いつもの無言の約束だった、それはあの深夜のカウンター、夜も更けて、人びとが常よりもよけいに打ちとけて己れの心を語る、あの居心地のよい、赤唐辛子色のぼんやりとやわらかな灯り、すり減った厚板のカウンターだった・・・ 組みあわせた両の手の上にあごをのせ、その犯しがたい厳しさを刻まれた横顔のライン まっすぐ前へ向けたまま、あなたはしずかな口調で言った、・・・二つの孤独な魂ですよ。・・・あんまり、べたべたしていてもね・・・ かくも互いに遠く隔たりながら、互いの心を推しはからんとしては 同じ光をもとめてえいえいと語らってきた長きにわたるこれらの日々の、これがその結論だった・・・
 そしてこれらの日々、あなたの心は遠くナンタケットの青い海岸にあった、松林のあいだを潮風の吹きぬける、砂と貝がらと、水と空との果てしない広がりのほかにはただなにもない あのうつくしい浜辺に、あの白くあかるいみぎわに飛んでいた・・・ 季節はまだ早く、おもての夜風はまだ震えあがるほど冷たかったのに。・・・
 かのひとの記したその小さな書物、それはそれほどにまであなたの心を動かしたので、その日あなたはそれを鞄からではなく、上着のポケットから取り出したのだった・・・
 そしてそれらの日々、陽光あふれる浜辺の印象はすっかりあなたの心を奪ってしまった、その心を占拠してしまった、それであなたは松の木陰の小さな仮庵に私の姿を置き、その金褐色の髪が潮風に吹きなぶられ、波にぬれてはまた吹きなぶられるのを、塩気を残しながら吹きなぶられてはまた乾いてゆくさまを思い描いてみたりした、あるいはまた、浜辺の岩のあいだに身をうずめ、その肌に湿った白砂が押しつけられて、身を起こしてはぽろぽろと剥がれ落ちながらなおもくっついているさまを。・・・
 その島で少女は一人だった、ただ飛び交う鴎たち、押し黙って沖を見つめるペリカンたちだけが友だちだった・・・ 茫漠とうち広がった大気のなかで両腕を拡げて踊る、その喜びは誰も知らない、その哀しみは誰にも責めを帰されない・・・ 彼女の日々はその足首に打ち寄せる波のようにあおく澄み、しゅうしゅうと泡たてて砂地にしみこんではまたあたらしく生まれてきた、風のように林を吹きぬけては梢をざわめかせ、その赴く先はだれも知らなかった、そしてあなたのその心もまた。・・・
 孤独は海の貝がらのように、なかが空洞になったそれらはかくも容易に己れのうちに住まわせてしまう、風の音や砂つぶや海藻のかたまり、たまたま近くにいただけの、ほかの無数の小さな生き物たちを。・・・そうしなければいつまでも空っぽで、所在ないとでもいうように、あたかもそのそもそもの性質からして、どうしてもそのままではいられないとでもいうように。・・・
 孤独は鏡のある部屋のように、ものごとのすがたを何倍にも大きくする、妄想はふくれあがって天井にまでのびあがり、音は地下のコンクリのガレージのように反響して すっかり空間を埋めつくしてしまう・・・
 ひとりきりの時間を、ひとりきりの歳月を、あまりにも長いあいだずっとひとりでいたのちに見いだした私だったためだろうか、あなたの部屋の空っぽな椅子に、いつのまにやらどっかりと腰を据えてしまった私の面影、それをあなたはどうすべきだったのだろう?・・・
 ひとりでいること、それは時としてひどく無防備で、危険だ、流砂のように、たちまち飲みこまれてしまう、あっというまもなく侵されてしまう、ひとりでいるときの感覚のすべてを。・・・あなたは揺れ動いていた、あなたは分裂して、矛盾にみちていた、あなたの内面は統合されていなかった・・・ 常に葛藤なのだ、あなたはそう言っていたっけ、そう、恐らくあなたはそういう人だから・・・ 私へと流れ落ちてゆこうとする己れの心を、腹立たしく思う夜もあったに違いない、激しい波のさなかにあって、己れの感情に屈して私の背を抱きしめているあいだ、私はひどく心配して、そう、あなたを揺らさぬよう、あなたを動かさぬよう、あなたがあとで後悔するであろうようなことをあなたにさせまいとして、身うごきひとつせぬままにじっと息をつめ、あなたの心を見守っていたのだった・・・ 私へと傾きかけた心見つめ、あやうい深淵のふちにある己れの心を知って、あの夜の抱擁にどんな意味を与えるべきか、あなた自身深く考えていたのにちがいない・・・
 ・・・二つの孤独な魂ですよ、そしてこれがその結論だった・・・
 こうしてあなたは自分を守りぬいた、ひとたびは軌道をそれた惑星のように奇妙にも近づいたこの二つの道すじは 決して交わることなく、そしてふたたび遠ざかってゆくことだろう・・・ あなたはいっときの迷いを断ち切って、再び己れの道を歩きはじめるだろう・・・ こうしてあなたは正しかった、打ち寄せた波のはば広い、透明でなめらかな層の下でさあっと砂が退いてゆき、みるまに私をあなたから隔て はるか遠くへと運び去ってゆくような、どうしようもない淋しさを たとえ私に感じさせたとしても。・・・
 それゆえ私は行かねばならない、あなたのそばから去らねばならない、あなたを安らかにあらしむために、これ以上かき乱さないために。・・・ なぜならあなたのその孤独は、あなたのうちにぽっかりと居座った空虚は、私の心に滲みて痛いのだ、あなたの孤独のかたちはガラスを透かして見るように、否が応でも生々しく、はっきりと見えてしまう・・・ それとも、こんなにはっきりと見えるのは私だけなのだろうか?・・・ あなたの孤独は、恐らくあなた自身の方がまだ耐えやすいのだろう、あなたはそれをこれまでずっと持ち運んできて、慣れているから。・・・
 ひとりでいること。ふたりではなく。・・・
 時にはふたりで、三人で、あるいはもっと多くの人びとのなかで過ごすとしても、さいごにはまたひとりになること。・・・
 曖昧さに甘んじるということ、変わりやすさに堪えるということ、自分の立っている場所が、浜地の砂のようにたえず動きつづけることに慣れてゆくこと。・・・ 希望しないこと。所有しないこと。・・・ 恐らくそれが正しいあり方なのだ・・・ あなたの日夜通う、さびれた裏通りのごたごたと立てこんだ路地、非常階段の陰や荒れ放題の中庭や、さびついた水道栓のあたりに棲みついている、あのぶちや縞もようの美しい獣たち、その日の食物を手に入れるのも戦いであって、飢えと寒さはいつものことであり、誰もが羨むような自由を手にしながら、明日の命の保証はなく、やにだらけの、眼光鋭い目をして、敏捷で、人になつかず、うす汚れて不ぞろいな毛並みをした あの獣たちのように。・・・
 ひとりでいること。ふたりではなく。・・・
 それで事足りているわけではない、そんなことはありえない・・・ 耐えているのだ、必要なものが手に入らなくても、それで何とかやっていこうとしている・・・その気骨、そのりんとした風情は美しい。・・・ 生きてあること、それはつまり 何かを欠いているということではないのか?・・・ 生きてあること、それはつまり 痛みを感じているということではないのか?・・・ すっかり満たされてしまったとしたら、それはもう死と同じことではないのか?・・・ けれども尚、あるべきものを欠いたまま、痛みを感じつづけたまま ひとは無限にずっとやってゆけはしない、それゆえに、そう・・・ この世のいのちに限りがあるのは、おそらく神々の優しさなのだ・・・
 これからまた 今までのように、夜昼あなたの窓辺を訪れる さまざまな種類の孤独があることだろう、それらは精霊たちのように、よいものもあれば悪いものもある、あるいは人間どうしの面倒なごたごたからあなたを引き離し、あなたの四方を壁で囲ってひとつのことがらに打ちこませる孤独、雲のいろ梢のかたちに心を留めて深く思いを至らせる孤独、あなたの想像力を広げさせて天の高みにまで導く孤独がある・・・ それらの何物にも代えがたい特質のゆえに、あなたはそれを大切に守ってきたのだ、じっさいあなたの成してきた仕事の大部分は、孤独のうちにしか成されえなかっただろう・・・ 無心に遊ぶ子供の孤独、それは孤独というべきだろうか、否、むしろ世界のほかのすべてのものからの自由というべきではないのか?・・・ そんなふうにいい塩梅だったのに、いつしかだんだんと苦い味のまじってくることもあるだろう・・・ 人を毒するたちの悪い孤独もある、しらじらとした午後の曇り空の孤独、雨のざあざあ打ちつける深夜の孤独、びしょぬれの傘、いくつかのつまらない野暮用、何でも自分でやらなくてはならないことの緩慢さ・・・ この世の誰にも待たれていないことの孤独、あなたのフィドルが響いていない間の孤独、それが歌っているときには影をひそめているが、死んでしまったわけではなく、その弓が置かれるや、またゆっくりと地平を覆いはじめるその孤独は。・・・
 それはまた月のようにこの世界のおもてを渡ってゆき、あまたのイメージのかけらを、ちょうどそこへ光があたってきらめいた、いくつもの美しい断片を集めてゆくだろう、かくて再び孤独は鏡のある部屋にそれらを積みあげ、それらの姿を反響さすことだろう・・・ あなたの窓辺に、波はまた寄せては返し、寄せては返して、流木や貝がらのかけらや、あらゆるものを打ち寄せることだろう・・・ あなたの生にあまりにも深くなじんで、ほとんどあなたの一部となってしまった、あなたはあなたのその孤独を、舟にのせて漕ぎ進んでゆくことだろう・・・
 ・・・そしていつか、多くの歳月を重ねてのち、数知れぬ波を数えてのち、あなたの舟がついに辿り着く休息の地がある、もはや誰にもかき乱されることのない安息の地、詩人たちの魂の憩いつどうという かの西の最果てのくに、ひと呼んでトゥアハ・デ・ダナーン、かの地にあっては身にまとうものはただ夕映えの黄色い光のヴェールのみ、頭を飾るものはただ軽やかな蔓草の冠ばかり、人は裸足のままに歩きまわり、草の上にステップを踏み、地上の煩いごとをすべて忘れ去って笑いさざめき、杯を汲み交わすという・・・ かの地にあって私たちは互いの姿をそれと認めるだろうか、私にはあなたのことが分かるだろうか?・・・ きっと分かるだろうと私は思う、そしてそのとき、我々はもはや今ある立場も役割も捨て、何もよけいな飾りをつけない、素のままの魂に向きあうことができるだろう、今はただ慎み深さや、互いへの気遣いすらのゆえに隠されている、ありのままの姿を見ることができ、多くの事柄について、ありのままの言葉で語り合うことができるだろう・・・ きっとそうなるだろうと私は思う、そしてそのとき、二つの孤独な魂は、真に互いを見いだすことになるだろう・・・ その日を遠く思い見て、いま私は、私もまた 同じ孤独を運びゆくのだ・・・

                         03.Apr.

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