2014年01月29日

カフェ・ジュヌヴィエーヴ

このころの夢や愛していたイメージを、ぎゅっと詰めこんだブーケのような小品。そのひとつは<ベルベット・イースター>。

     詞華集カフェ・ジュヌヴィエーヴ 4

      カフェ・ジュヌヴィエーヴ


日曜日、朝。曇り。
明け方まで降っていた霧雨が、
下町の古びた家並をしっくりと溶けあわせている。
少しくたびれたレースのカーテンごしにさすうす暗い光のなかで、
イレーヌはしばらくまどろんでいた。
それからゆっくりと起き上がり、ベッドの上で片膝を抱えて、
何を見るでもなく 部屋の一隅をぼんやりと眺める。

こういう天気の日には、この部屋の中に沈澱している過ぎ去った時代の感じが殊更強まるように思われる。
祖母の記憶―蜂蜜入り石鹸の匂い。
ここは、祖母が亡くなるまで祖母の部屋だった。
この部屋にあるものも大方はみな祖母のものだ。
鋳鉄製の背の高いベッド、洋服だんす、こわれたランプ。
少し曇りのでた、どっしりとした鏡台―埃をかぶったカスミ草がひと束、
ジャムの空き壜にさしてある。
それから、イレーヌの着ている昔風の白いねまきも。

祖母はおしゃれな人で、そんなに暮らし向きもよくなかったのに、
ブローチやネックレスやレースの手袋など、優雅で古典的な品々をたくさんもっていた。
イレーヌも、時どきはそういうものを眺めて楽しむけれど、
自分で身につけることはめったにない。

イレーヌは、ようやくベッドから降りると、
洋服だんすの中から細身の黒いワンピースと、淡いすもも色のカーディガンを選び出した。
それから、つば広の白い帽子を取り出して、鏡に向かっていろいろかぶり方を試してみる。
やがてジョルジュがやってきて、二人は連れだって出掛ける。
彼らはぶらぶらと街を抜け、野原や小麦畑のあいだの細い小径を通って歩いていく。

   *

こういうおだやかな曇りの日には、ものごとの美しさがもっとも正直に、はっきりと見える。
緑色の海に浮かぶ星々のように、生い茂る雑草にまじって咲くマーガレット。
矢車草、あの少し紫がかった、深く澄んであざやかな青。
咲き乱れる真っ赤なけしの花びら。
農家の庭先にはつるバラ、ライラック、すずらんに色とりどりのアネモネ。
青い菫に忘れな草、足もとにぬれるクローバー。

川岸に芽吹く柳のみずみずしさ。
静かな川面。
遠くの森の微妙な色あい―ところどころ、白っぽい淡い緑がまじる。
遠くからのぞむ街の風景も、たしかに美しい。
彼らは来た道とは別の道を通って街へ戻る。

   *

通りから少し外れた街角にある静かなカフェ、ジュヌヴィエーヴ。
飾り気のない石造りの入り口の両脇には、髪を結い、流れるような衣をまとった美しいブロンズの女性像が据えられて、
それぞれまるいガラスの月を―水瓶をかかげるように片方の肩にのせて―かかげている。
今日のような少しうす暗い日には、昼間からこのガラスの月に灯りがともされて、石畳にやわらかい光を投げかけている。

ジョルジュとイレーヌは窓際に近いテーブルにつき、サンドウィッチとコーヒーを注文する。
古時計がものうげにチクタクいうのをききながら頬杖をついて、道ゆく人々をただぼんやりと眺める。

こころよいざわめき。銀製のポット。
使いこまれた円テーブルのふちのなめらかさ。
カフェ・ジュヌヴィエーヴを出るころ、静かに雨が降り出す。
二人はジョルジュのこうもり傘を広げ、表通りを冷やかして歩く。

絵はがき。ティーセット。レコード。
街角の新聞売り。ベタベタと貼られた広告塔。
うす青いろの夕闇に浮かびあがる街灯の光。
往き交う人びと。
ワルツを踊るようにくるくると流れてゆく雨傘たち。

(1993?)






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