2013年12月21日

片づけについて 2-ものの持ち方を考える-



「片づけコンサルタント」、近藤麻理恵(こんまり)さんの本。
片づけたいな!と思った頃に出会って、ここ1年半くらいずっと愛読してる。

巫女さんだった、というのが、すごい説得力のあるところ。
すごく若いけど信頼できる、と直感的に思える。
理屈や経験だけでなく、自分を越えた力を感じとって、そこからものを言う人。
モノの気持ち、家の気持ちを感じ取ることができる人なのだ。

いちばん大切なものは、目に見える現実や論理を超えたところにある。
いつだって直感的、本能的なところにある。
いわば原始的なアニミズム。
それを知ってる人。



こんまりさんの本より、個人的なメモ。
一字一句その通りではないけど、だいたいの感じ。

「片づけを始める前に、自分がどういう部屋に住みたいか、それはなぜかを徹底的に考える
 具体的にイメージする
 つまり、ゴールを設定する」

「使ってないモノは、持ち主のこと恨んだりしていない、ただ役に立ちたいと願っている
 役に立たないのであれば、外に出たいと願っている
 人だけじゃなくモノもエネルギー
 たとえ燃やされて原始のレベルにまで分解したとしても、役に立ちたいというエネルギーは残る
 放っただけのエネルギーが形を変えて戻ってくる
 もっと素敵なモノに生まれ変わって、あるいはご縁や情報というかたちで戻ってくる
 すべてはエネルギーの形で循環してる」

「いらないものを捨てるのではなく 残すものを選ぶ
 自分の持ち物の中から、お店で買うものを選ぶときのように」

「迷ったときは、モノ本来の役割を考える
 そうすると、驚くほどたくさんのモノがすでに役割を終えていることに気づく」

「判断を下すレッスンを繰り返すことで判断力が磨かれていく
 自分の好きなものがはっきり分かって
 自分を好きになる」

「要るか要らないかは自分の身体に聞いてみる
 収納は自分の家に聞いてみる」

「どうやって収納すべきかは部屋じたいが知っている
 おうちが喜ぶ収納になっているか」

「片づけ終えると、人生がドラマティックに変わっていく
 子供のころからの夢を思い出して起業しちゃいました とか
 独立したとか転職したとか仕事がうまくいくようになったとか
 なぜか3キロ痩せましたとか
 会いたかった人から連絡が来るようになりましたとか」

「片づけたところと同じようなところが反応する
 服を整理すると、ぜい肉がとれてすっきりする
 本や書類を処分すると、頭が軽くなる
 水まわりを片づけて化粧品類など減らすと肌がうるおう」

「ひとりの時間は 大切な人と過ごすために もっとすてきな自分になるためにある」

「疲れたときは片づけを休んで いま身のまわりにあるものに感謝する」



こんまりさんのブログより。

「かなりの割合で、成功してる人の家は片づいています
 そして彼らはたいてい、成功して広い家に住んでいるから片づいているのではなく、
 広い家に住む前からさっぱり片づいた家に住んでいるのです

 低所得層の居住区域ほど、外から見てもモノが多い印象で、ベランダにゴミ袋や壊れた椅子などが放置されていることが多かったような。。」

「手紙の役目、水まわりと心の潤い、部屋を背負っているということ。」

「受け取った瞬間が最高の状態」

「空気が変わる 部屋が軽くなる

 外に出すものと残すものの区別ができるようになる
 ふしぎとこれは外に出たがっている、というのが分かるようになる」

等々、等々。。



片づけって、哲学的
片づけについての本がいっぱい出てるのも分かる
モノを処分するにも、買ってきたりつくったりするのと同じくらいの手間がかかる。
時間もかかる。お金がかかりさえもする。
片づけのために生きてるの私?
これじゃいつまでたっても先へ進めない・・・



回転を速くしてゆくということ。
ただしまいこんでいるだけでは意味がない
でも 昔のこと忘れて、自分の出自や愛してきたものを忘れてしまうのが怖い

回転速い人たちって、あまり惹かれずにきた
ただ次から次へと回転しているだけで、核がなくて薄っぺらな印象で

回転速い人たちって、昔のことどうやって覚えているの?
そのつど新しいものを取り込むために、過去をぜんぶ忘れていくの?

手放してしまったけど今でも覚えているものはいくつもあるな

溜めこんで持っておくのは過去を見つめること。捨てるのは未来に目を向けること。
どっちも大事。

未来は可能性、でも不確実。
不確実なものを受け入れられるってことは、柔軟性であり、自分への自信ってこと。



好きな服はとことん着て擦り切れるし
着ない服は擦り切れないから いつまでもずっとそこにある という逆説



衣類の処分、とくに田舎暮らしで車ないとなかなかたいへん

リサイクルショップも一長一短
たまーにこないだの指輪みたいなこともあるけど

苦労して運んでいっても引き取ってくれなくて、また持って帰ってくるはめになるの、ほんとにイヤ。
引き取ってくれるときも、いちいち個人情報書かされるのがほんとにイヤ。

だから古布の日に出すと
雨に降られてしまったり それでまた罪悪感が



まだ使えるけど使わないもの、よそでも引き取ってくれないもの、
どうしようもなくボロボロになってしまったもの
きちんと感謝して送り出して すっきりして
でもやっぱりどこか心が痛む



旅行、好き。
すばらしい経験だけして、あとに何も残らないところがいい。
花とキャンドルも好き。
見飽きる前に、萎れたり溶けたりしてたちまちなくなってしまうところがいい。



モノに対して、間違った責任感をもっていたかも。
私のところへ来ちゃった以上は、って。

好きじゃなくても、使わなくても。
とっくに飽きてしまっていても。

女に飽きるように、手に入れたときは心からほんとに好きでも、自分でも気がつかぬうち飽きてしまっていて、罪悪感もあってそれを自分に対して認めたくなく、それで捨てはしないけど手にとるもない、ただ置いてある、みたいな

資源ムダにしちゃいけないし、とか
まだ使えるのだから使ってあげなきゃとか

ソリッドにそこにあるから 尊重しなきゃいけない気がして
軸をモノ自体に置いてしまっていた 自分自身にではなく



でもやっぱり、いちばん大切にすべきは自分の気もちだよね
流動的で、変わりやすいものだけど

自分自身と同じように、モノも、ほんとはソリッドではなく、常に流動的なもの。
自分が変わるにつれ、モノが自分に対してもつ意味も変わっていく。



いろんなことがあるな。
愛着なくなることもある。
必要ないのに、手放したとたん落ち着かないことも。
ぜひとも欲しいものが手に入らないことも。
かと思えば、それが誂えたようにすとんと自分のところに来ることも。



片づけが進むにつれ 部屋がすっきりと、居心地よくなって
部屋で過ごす時間が 穏やかで心楽しくなってきた

ただそこにあって埃をかぶっているだけのものがなくなって
すべてが必然性をもって役割をもっていきいきとそこにあるという感じ

身体的にも、体のなかのよけいな部分が削ぎ落とされた感じ
気もちよいすっきり感



掃除も苦にならなくなった

考えてみると掃除のめんどくささって
かなりの割合が掃除じたいじゃなく、そのためにモノを動かすめんどくささ

卓上や床によけいなモノがないと、動かす手間もないので
掃除がほんとにあっというまに終わる

苦じゃないのでまめに掃除するようになる
ますます居心地よくなる
といういいサイクルに



上着のポケットやバッグやバイクのバスケットによけいなものを入れなくなってから
動きが速くなったような
よけいな時間をとらずにさっと動けるようになった

買い物とか用事とかすませるのも速くなってきた
あまりいろいろ迷わなくなって、選ぶのが速くなった
見た瞬間に、買うか買わないかだいたい分かるように



自分がほんとに好きなものを大事にしていくこと。
それしかないであろう。






当ページ上の広告はブログ運営サイドによるものであり、中島迂生とは関係ありません

同じカテゴリー(片づけ2013-2014)の記事画像
部屋スナップ2013-2014 その4
部屋スナップ2013-2014 その3
部屋スナップ2013-2014 その2
部屋スナップ2013-2014 その1
その他のクラフト作品など
アクアマリンの指環
同じカテゴリー(片づけ2013-2014)の記事
 部屋スナップ2013-2014 その4 (2014-12-30 10:10)
 部屋スナップ2013-2014 その3 (2014-12-30 09:09)
 部屋スナップ2013-2014 その2 (2014-11-27 07:47)
 部屋スナップ2013-2014 その1 (2014-11-27 06:38)
 その他のクラフト作品など (2014-11-27 06:37)
 アクアマリンの指環 (2014-11-27 06:36)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。