2013年11月30日

創造的な不幸-4-

創造的な不幸-愛・罪・自然、および芸術・宗教・政治についての極論的エッセイ-
この作品について   目次

-4- カナン人について


 ついに約束の地に入るイスラエル。

「汝の神エホバ汝が往きて獲べきところの地に汝を導きいり多くの國々の民ヘテ人ギルガシ人アモリ人カナン人ペリジ人ヒビ人エブス人など汝よりも數多くして力ある七つの民を汝の前より逐ひはらひ給はん時 すなはち汝の神エホバかれらを汝に付して汝にこれを撃たせ給はん時は汝かれらをことごとく滅ぼすべし彼らと何の契約をもなすべからず彼らを憫れむべからず」
「汝心に言ふなかれ云く我の義きがためにエホバ我をこの地に導きいりてこれを獲させ給へりと そはこの國々の民の惡しきがためにエホバ之を汝の前より逐ひはらひ給ふなり 汝の往きてその地を獲るは汝の義しきによるにあらず又汝の心の直きによるに非ず この國々の民の惡しきが故にエホバ之を汝の前より逐ひはらひ給ふなり」---De7:1,2,9:4

 かくして大殺戮が始まり、血が流され、火が放たれ、死体の山はうずたかく積み上げられるのである。
「邑にある者は男女少きもの老いたるものの區別なく盡くこれを刃にかけて滅ぼし且牛羊驢馬にまで及ぼせり」
「ヨシュアかの日マッケダを取り刃をもて之とその王とを撃ち之とその中なる一切の人をことごとく滅ぼして一人をも遺さず」
「かれとその民とを撃ちころして終に一人をも遺さざりき」
「刃をもてその中なる一切の人を撃ちてことごとく之を滅ぼし氣息する者は一人だに遺さざりき」・・・             ---Jos6-11

 こうした記述を前に、人は嫌悪の念をもって立ちどまらずにはいられない。彼らはなぜこれほどまでに殺されなければならなかったのか。彼らが生き延びる手だては本当になかったのか?
 これが単なる人間による虐殺だったら、そのために我々はわざわざ立ちどまったりしない。結局のところ我々の歴史はその種のおぞましい記録で満ちているからだ。
 カナンの虐殺が特別に問題となるのは、それが全能の神の命令によって遂行されたという事実、まさにその事実によるのである。
 そしてこの疑問から、いまや永久に失われてしまった彼らの生活、彼らの文化、彼らの精神性を知ろうとする、切実な探究が始まるのである。

          *             *

 考古学的考察。
「カナン人は自分たちの神々の前で宗教儀式としての不道徳な行為にふけることにより、またその後、自分たちの長子をそれら同じ神々への犠牲として殺害することにより礼拝を行った。カナンの地は大方、国家的規模でソドムやゴモラのようになっていたようである。・・・そのような忌まわしい汚れや残虐行為を事とする文明に、それ以上存続する権利があったであろうか。・・・カナン人の諸都市の遺跡を発掘する考古学者は、神がなぜもっと早く彼らを滅ぼさなかったのだろうかと不思議に思うほどである」---「ハーレイの聖書ハンドブック」1964

 しかし、レヴィ・ストロース以後の我々は、あらゆる文化をその文化自身の視点から眺めることを学んだのではなかったか?
 例えば、石の祭壇の上で生贄の心臓をえぐりだし、まだぴくぴく動いているそれを太陽に捧げる古代アステカ人。我々はそれを見て考えるかもしれない、彼らは理性のない、残虐で野蛮な民であった、と。しかし、彼らの哲学からすれば、自分たちが偉大な自然のサイクルの中で生き、そこからすべてを与えられて生活している以上、自分たちの方でも何らかの犠牲を払うのは当然のことであり、それどころか、それはサイクルが円滑に回ってゆくために必要不可欠な要素だったのである。したがって問題となってくるのは文化の違いであり、視点の違いである。

 彼らの精神性のあり方をたどるのは容易なことではない。大体文書としての記録が残っていないからだ。それは鉄のカーテンの向こう側の全体像をつかむのと同じくらい困難である---そして、それは実際には不可能だろう。我々にできるのはただ、探究し、類推し、想像することのみである。
 イスラエルがカナンに入ってきたときの彼らのようすは、イスラエル側の記録によって次のように描写されている。
「ヨルダンの彼方に居るアモリびとの諸の王および海邊に居るカナン人の諸の王はエホバ、ヨルダンの水をイスラエルの人々の前に乾し涸らして我らを濟ひしと聞きイスラエルの人々の事によりて神魂消え心も心ならざりき」Jos5:1
 征服が大方完了した時点での結論としては次のように記されている。
「そもそも彼らが心を剛愎にしてイスラエルに攻めよせしはエホバの然らしめ給ひし者なり 彼らは詛はれし者となり憐憫を乞うことをせず滅ぼされんがためなりき 是全くエホバのモーセに命じ給ひしが如し」---Jos11:20
 しかしこの二つの言葉は、遺憾ながら矛盾すると言わなくてはならない。もしも本当に失意のどん底にあったのなら、そもそも強情を張る気力もなかったはずだし、もしも彼らが強情だったなら、そこには彼らの強情さを支える何らかの矜持が存在したはずだからでる。
 彼らのうち、イスラエルの斥候をかくまって命の保証をとりつけたエリコのラハブと、イスラエルに取り入って契約を結んだギベオンのヒビ人以外は、誰もイスラエルと和を結ぼうとしなかった。彼らは一致団結してイスラエルを迎え撃ちに出た。
「ここにヨルダンの彼方において山地平地レバノンの對へる大海の浜辺に居る諸の王すなはちヘテ人アモリ人カナン人ペリジ人ヒビ人エブス人たる者どもこれを聞きて 心を同じうし相集まりてヨシュアおよびイスラエルと戦わんとす」---Jos9:1
 なんと愚かだったのだろうか彼らは、相手には何せ神の後ろ楯があるのだからどうあがいたって勝てるはずがないではないか、なぜ彼らは降伏して生き延びようとしなかったのかと、我々は考えるだろうか?

 実際のところ、彼らには彼らの生活があり、文化があり、歴史的必然性があったはずだ。今の今まで人生はかくのごとく続いてきたのだし、これからだってかくのごとく続いていくはずだった。それが突然、お前たちの土地は四百年前に神がアブラハムに与えると約束したものだから明け渡さなければならないと告げられて、いったい誰がおとなしく引き下がるだろうか。
 彼らの大部分が最後の最後まで現実を見ようとせず、無駄な抵抗を続けたのは全く当然のことと言わなければならない。彼らにしてみれば、イスラエルの理屈のほうが明らかに間違っていたのだ。そして彼らには、自分たちの慣れ親しんだ思想や生きかたを捨てる気は全然なかった。ラハブやギベオン人は希有な例外であった。あれだけの謙遜さを示すのはそうそう容易なことではない。大方のカナン人の目には、彼らはむしろ卑屈と映ったことであろう。彼らは全く国賊であると考えられたに違いない。実際、エルサレムの王はギベオンの裏切りを知ると他の四つの都市と連合してこれに対して陣営を敷く。そして、結局は助太刀に来たイスラエルに敗れ、屈辱的な仕方で処刑されるのである。

 ここで考えなくてはならないのは、全く当然のことながら、彼らがかくの如き歴史的、文化的、民族的背景のもとに生まれ落ちたのは彼ら自身の責任ではない、という点である。それは彼らにとって、アプリオリに存在した外的状況であった。それでも尚、この外的状況は、彼らが神から裁かれるにあたって、その裁きを左右したほどの、極めて大きな要素となったのである。
 このことから次の問題が生じてくるのである。すなわち---個人は外的状況によってどの程度決定されるのか? そしてそれはまた、言い換えればこういうことである---個人は自分の思想・人格・生き方に関してどの程度責任を負うのか?

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