2013年11月30日

創造的な不幸-5-

創造的な不幸-愛・罪・自然、および芸術・宗教・政治についての極論的エッセイ-
この作品について   目次

-5- ナジェージダ・マンデリシュターム<追想>


ナジェージダ・マンデリシュタームの<追想>。
 そこに描かれているのは一つの凄まじい外的状況である。
 彼女は克明に記録する---スターリン政権下で、夫で詩人であったオシップと自分、また友人たち、知り合いたち、大勢の人々が、どんなふうに精神状態を狂わされ、情け容赦なく追い詰められていったかを。この時代において地獄とは収容所、流刑、強制労働、銃殺だけではなかったのである。ロシア全体が、実に精神全体が地獄だったのである。
 しかしそういう状態もまた、ある日突然に立ち現れたわけではない。これもまた一つの歴史的必然であった。
「・・・今でも、今日を一九二〇年代に直結させ、当時つくり出されていた自発的団結を、再びよみがえらせたいと願う人が数多い。二〇年代から今日まで生き永らえた人々が、今、若い人々の間を歩き回って、当時は科学も、文学も、演劇もすべてが百花繚乱と、空前の隆盛を誇っていた、もしもすべてが、当時目指した針路をたどってさえいたら、我々の生活は、今ごろはすでに繁栄の絶頂に達していたはずだと躍起になって吹き込んでいる。芸術左翼戦線の生き残り。タイーロフや、メイエルホリドや、ヴァフタンゴフに協力した人々。哲学=文学研究所やズボフ研究所の教師や学生。『赤色教授』研究所を卒業した教授たち。マルクス主義者たち。四方八方から攻撃を浴びたフォルマリストたち。・・・彼らは、その後起こったことに対して責任を認めていないのである。しかし、果してそうだろうか? なにしろ、当時まであった価値観を破壊して、新しい国だ、未曾有の実験だ、樹を伐れば木っ端は吹っ飛ぶといった、今もなくてはならない形式を発見したのは、他ならぬ二〇年代の人々だったのである。すべての死刑は、目下我々は二度と暴圧のない社会を建設しているのだから、このように前代未聞の『新しいもの』のためには、どんな犠牲も許されるのだと、正当化されていたのである。いつの間にか目的が手段を正当化しはじめ、このような場合に当然のことながら、目的は、しだいに影を潜めていくことに気づく人は誰もいなかった。・・・」
「私たちはかつて混乱に仰天し、突然みな一斉に、強大な権力を、あらゆる混濁した人の流れを水路にせき込むような強力な人物を求めはじめた。・・・
「歴史の流れを滑らかにし、意外性のおこらぬよう、すべてが計画どおり円滑に流れるよう、途上のくぼみをなくすこと、これこそ私たちの願っていたことであった。そしてこういう念願こそ、私たちのいく道をきめる賢者たちの出現を心理的に準備したのであった。そういう賢者たちがいったん出現すると、私たちはもう彼らの指導がなくては行動できなくなり、直接の指示と正確な指針を彼らに期待した。・・・私たちは盲目だったので単一の思想のために自ら戦ってきた。・・・私たち自ら沈黙し、唯々諾々として、強大な権力が力を蓄え、誹謗者たちから自分を守るのに、手を貸してきたのであった。
「・・・とにかく肌身に感じて悟るほか手がないのである。他人の経験を私たちは信じないのだから。私たちは実際不完全な人間となってしまい、責任を負うこともできないでいる。・・・」

「現実生活は図式で示されたとおりには進まなかったが、・・・予定と実際とは比較することを禁じられていたのである。・・・
「時代の原則は、現実に目をつぶるということであった。・・・未来の煉瓦からは現在の家は建たないことを知っていた人は、避けることのできない結果にあらかじめ甘んじ、銃殺を覚悟していた。いったい他にどんなことがやれたというのだろう? 私たちみなそういう結果を覚悟していた。・・・」

「・・・私が一緒に暮らしている人たちはこういうことまでやる人たちなのか! 私はこういうところまできてしまったのか。驚愕は私たちをすっかり麻痺させ、うめく力さえも失ってしまう。人々が投獄されて、自分たちがどういう所にどういう人たちと暮らしているのか、現代の素顔とは何かを知る時襲われるのは、この驚愕ではなかっただろうか、それから完全な麻痺と、あらゆる尺度と規準や、あらゆる価値観の喪失がやってくる。あそこで人々に起こったこと---彼らが何に署名し、何をやり、何を自供し、だれを自分もろとも破滅に陥れたかということは、肉体的苦しみと恐怖だけでは説明がつかない。こういうことすべては、『境界をこえた所で』のみ、時間はとまり、世界は終わり、あらゆるものが崩壊して二度と戻らないように思える狂気の中でのみ起こり得たのである。あらゆる観念の崩壊---これもまた世の終わりなのである」
「非合理な力、非合理な必然性、非合理な恐怖との衝突は、私たちの精神状態をすっかり変えてしまった。・・・もうもとに戻ることはあり得ないという意識がすべての人をとらえた。・・・私たちは新しい時代に入ったのだ、だから私たちは歴史的必然性に従うほかに仕方がない、これは人類の幸福のために戦った立派な人たちの夢と合致するものだ、というふうに私たちは実際吹き込まれたのである。こういう歴史的決定論の宣伝は私たちから意志と自由な判断力とを奪ってしまった。私たちは、まだ疑っている人たちを面前で笑い、自ら新聞のお先棒をかついで、『消極的反抗はこんな結果に終わるのだ!』とばかり制裁の噂話や、神聖な公式やらを繰り返し、現状を正当化する根拠をさがし求めてきた。その主な論拠となったのは、時間的空間的な歴史全体の正体暴露であった。つまり、どこでも似たり寄ったりだ、いつでもそういう具合だったのだ、人類は暴圧と専制しか知らなかったし、また知らないという論拠である。
『どこでも銃殺は行われていますよ』と若い物理学者のLが私に言った。
『わが国では多すぎる、ですって? いいじゃありませんか、これは進歩なんですから』」
「私たちはみな適当に妥協し、殺されるのは自分でなく隣の人だろうと考えて黙っていた。私たちの間の誰が人を殺し、誰が沈黙のおかげで助かったかということさえ私たちは知らないのである。・・・」

 以上の抜粋から、我々はスターリン統治下における精神性の特殊さと、それが形成されるに至ったいきさつについて少しは知ることができただろうか?
 それは今日一つのおぞましい伝説となっている。いったいどれほどの人間が殺されたのか、数字を云々するのも無意味に思えるほどである。
 "Portage" のヒトラーは言う、

" ・・・I was a small man compared to him. Yes, Stalin slaughtered thirty million.・・・He found us amateurish, corrupt with mercy. Our camps covered absurd acres; he strung wire and death pits round a continent(これがいかに真実であったことか!). Who survived among those who had fought with him, brought him to power, executed his will? Not one. He smashed their bones to the last splinter. ・・・"

 そう、彼は独裁者だった。けれど、もちろん彼一人の力であの大虐殺をやってのけたのではない。あの時代の空気全体に、サディスティックな狂気が満ちていたのだ。
 それでは、あの狂気はどこからやって来たのだろう? 天から降ってきた?--そうではない! あの狂気こそは、人間の性善説に対する最も強力な反証の一つなのだ。彼女は書いている--

「昔は善人が多かった。そればかりか、悪人までが善人を装っていた。人はそうでなくてはならないと考えられていたからだった。そこから十九世紀末の批判的リアリズム文学によって暴露された、過去の大悪である偽善と虚偽が生まれてきたわけである。しかしこうした暴露の結果は人の予想だにしないものであった。善人が絶えてしまったのである。善良さというのは単に生得の性質ではなく、育て上げなければならないものである。・・・我々の世代にとって善良さとは、古臭い、消え去った過去の性質であり、善人とは死滅してしまったマンモスのごときものであった」

「一番殺人者に変わりやすいのが若い人たちなのはなぜだろう? なぜ若い人々は人間の生命に対してあれほどまでに無分別な態度が取れるのだろう? このことは、血が流され、殺人が日常茶飯事となるような大変な時代に特に目につく。私たちは犬のように人々にけしかけられたし、犬たちは意味もなく吠え立てながら猟師の手をなめた。食人的精神状態は伝染病のように広がっていった」

           *            *

 ここで我々はもう一つ考えなくてはならない。人間の本質をめぐる問題として前述の問題とも関係してくるのだが、それは個人の責任の問題、あるいは環境決定論の問題である。

「私たちは実際不完全な人間となってしまい、責任を負うこともできないでいる」---しかし我々は、不完全だからといって責任を免れていいものだろうか? 彼女は、国家的規模の洗脳が引き起こした一つの自殺について書いている。

「知識人がこの病気にたやすく屈していったのは革命後の諸条件だけが原因であろうか? 最初の病原菌は、革命前の混乱、あがき、偽の予言といったものの中に潜んでいたのではなかろうか? 昏睡状態、心理的疫病、夢うつつといった症状を伴うこの病気は、『新しい時代』のために恐ろしい行為をおこなった人たちの場合、特殊な形態をとった。あらゆる種類の殺人者、挑発者、スパイたちはある共通した特徴を持っていた。・・・私たちはこう説き聞かされてきたのだ---わが国ではもうけっして何一つ変わることがないだろう、あとは、世界の残りの部分がわが国の状態に追いつくことだけだ、つまり彼らもやはり新しい時代に入るだけで、その時こそあらゆる変化は永久に止まるだろう、と。そしてこの教義を受け入れた人たちは、結局は極端な歴史的決定論から出ている新しい道徳のために正直に働いたのだった。彼らは、自分たちの手であの世や収容所へ送った者たちはみな永久にこの世から抹殺されたものと考えていた。これらの亡霊たちが息をふきかえし、墓堀り人たちの責任を問うなど、彼らには思いもよらないことだった。だからこそ名誉回復の時期に彼らは全くの恐慌状態におちいったのである。・・・」
「タシケントでは秘密警察の大立者の一人が自殺した。その男はスターリン批判後に年金生活者となったが、その後、奇跡的に生きのびて収容所から戻ってきたかつての被告たちとの対審にときたま呼び出されているうち、試練に堪えきれなくなって首吊り自殺をしたのだった。私は中央委員会にあてた彼の遺書の下書きを読む機会を得た。彼の言い分は別に七面倒くさいものではない。ソヴィエト権力に一身を捧げる気持ちの彼は、共産青年同盟員の頃秘密警察入りし、ずっと昇進と報賞の道を歩んできた。その間中彼は自分の同僚と被告以外の人間には会ったことがなく、昼も夜も休みなしに働き、退職してはじめてこれまでおこったことを考える暇を持ったが、その時初めて、自分はもしかすると人民にではなく『何かナポレオン主義のようなもの』に奉仕してきたのではないかという疑念が湧いたのであった。この自殺者は自分の罪を他人に転嫁しようとしている。まず第一に取り調べの際あらゆるでたらめを認めて署名し、そうすることによって取調官や検事らを窮地におとしいれた人々に、さらには『尋問の簡易化』を説明して計画の遂行を要求していた中央からの指導者たちに、最後に進んで当局に情報をもちこんで、大勢の人々に対し取り調べを開くことを余儀なくさせた通報者たちに罪を転嫁しようとしている。秘密警察の勤務員たちは階級意識のためにこういう情報を素通りすることができなかった。この男の自殺の直接の動機となったのは、彼が読みおえたばかりの『死刑囚最後の日』という本であった。
「自殺者は埋葬され、事件はもみ消されてしまった。そうすることがぜひ必要だったのは、彼が中央からの指導者や通報者たちの名前をあげていたためである。自殺者の娘は憤懣やる方なく、父を死に追いやった者たちに仕返ししてやろうと考えていた。彼女の怒りはこうした恐ろしい大混乱を生じさせた者たちに向けられていた。
『あの頃活動していた人々のことを考えてやらなくてはいけなかったのです! 彼らは自分から思いついてやったのではなく、ただ命令を遂行していただけなのですから』
 とラリーサというその娘は言うのだった。・・・ラリーサは、
『これはこのままにはしておけませんわ』
 とくりかえし、彼女の父がどんな扱いを受けたか知ってもらうために一切の事情を外国へ知らせようとしていた。私はどんなことを訴えるつもりなのかたずねてみた。ラリーサにはそれは全く分かりきったことであった。こうも突然に何もかも変えてはいけないのだ。そんなことをすれば人々に大きなショックを与えることになる。人々にそのようなショックを与えてはいけないのだ、パパにもその同僚のだれにも。
『どんな人があなたの考えに共鳴してくれるでしょうね?』
 と私はたずねてみたが、彼女には私の意図が分からなかった。もうこれから何一つ変わることはないといったん人に約束したからには、どんな変化も許してならないのだ。・・・
「わたしとラリーサは分かり合うことができなかったが、彼女を眺めながら私は、どうしてわが国ではすべての道が破滅に通じているのかいつも考えたものである」

 つまり、ここで彼女は人間の道徳的責任を主張しているわけなのである。この自殺者が今までいかに誠実な気持ちでやってきたとしても、あるいは実際長年にわたって欺かれてきたとしても、誠実さは彼がやってきたことの口実とはならず、彼は知的洞察力を働かせてその欺きを見破り、それを拒絶すべきであった、彼にはその責任があった、というわけなのである。
 しかしながら、その少しあとで、彼女は別の人物に関してこれとは違った見方を取っている。自分たちを当局に密告したのではないかと考えられる一人物について、彼女はこう書いているのである---

「・・・が、結局のところドリガチもどうだったか分からない。彼も恐ろしい時代にめぐり合わせた哀れな虫に過ぎない。人間は本当に自分の行動に対し責任を負うものだろうか? 人間の行為もその性格も、すべて時代に縛られている。時代は二本の指で人間を締めつけ、自分に必要な善あるいは悪の一滴をその人間から搾り取るのである」

 ここでは彼はその責任を問われてはおらず、時代の恐ろしさという口実のもとにそれから免除されている。

 時代の恐ろしさ。
「私たちはあまりにも遠慮なく話す人達を、『おやめなさい。何だってそんな。そんな話し方をしていると、どんな人間と取られるか分かりませんよ』と言ってやめさせたことも二度や三度ではなかった。一方私たちも誰にも会わないように人から言われていた。・・・彼は今までずっと知っている人間しか家に入れないようにと私に言ったが、私は彼に、そういう知人たちも以前とはまるで違った人間になっているかもしれないと答えた。
「こういう生活は何らかの痕跡をとどめずにはおかない。私たちはみな精神状態が多少おかしくなり、病人とは言えないが完全に正常とも言えない人間になった。・・・」
「万人に逆らい時流に逆らって我が道を行くことは、それほど生易しいものではない。我々は誰しも、岐路に立ったとき、みんなのあとを追いかけたい、行方を知っている群衆に加わりたい、という誘惑をある程度は感じるものである。しかも、時代の『全般的な意見』なるものの権力は絶大で、これに逆らうのは思いも寄らぬほど困難であり、時代は、一人一人の上にその刻印を残すのである」

 では、実際のところはどうなのか? 人間は自分の行動に関して責任を負うべきなのか、負わなくていいのか?
 この問題に関しては、おそらくこのように言うことができるであろう。すなわち、外的状況が実際にどれほど個人を左右するものか、あるいは個人が己れのあり方に関して実際にどれほど責任を持っているのかということに関して厳たる真実は存在せず、(あるいは我々はそれを知ることを許されておらず、)ただ判断のみが存在するのである。そして、この点について言えば、間違いなく神は人に対してその責任を問うのであり、つまり、彼は人間が責任を持っていると判断するのであり、我々が、全能者また創造主としての神の権威を認める限りにおいて、それは真実なのである。

           *            *

 ところで、タシケントの自殺者をめぐる挿話はまた別の問題を提起しているのである。「・・・こうも突然に何もかも変えてはいけないのだ。そんなことをすれば人々に大きなショックを与えることになる。人々にそのようなショックを与えてはいけないのだ、パパにもその同僚の誰にも。」
そう、このモータルな世界においては、世界とそれを動かしている力とは何の予告もなしに、突然入れ替わり得る。これは何もスターリン批判後のソ連に限ったことではなく、現代の我々すべてが生きてゆく中で容易に起こり得る事態である。ひとたび相対性の力に献身してしまった人間は、事態が一変したときに持ちこたえられないのだ。
 それゆえ我々は知る、何に献身するかは重要な問題であることを---すなわち、我々はただ献身するだけでなく、正しいものに献身しなければならないことを。
 我々はまた知る、正しいものは不変でなくてはならないことを。
 それゆえここにおいて我々は、キリスト教の正当性と必要性についての理解を得るのである。すなわち、我々は時代の流れまた多数の意見という「外的状況」に対して人を守る、不変にして絶対的な規範を必要としている。それは神によって啓示されており、ゆえに人はそれに従う責任を負っている、というわけなのである。
 しかし、この不完全な人間の集合体から成る不完全な世界にあって、人はいかにしてそれを正しく認識できるのか?
 実際、Aは昔から思ってきた---終末の際に神が人を裁くとき、最大の焦点となるのは実にこの問題だろうと。
 人の生い立ち、生まれ育ってきた環境、曝されてきた影響力、取り巻かれてきた文化、遺伝的諸要素、周囲の人々、歴史的な流れ、こういうものがすべて相まって、キリスト教を受け入れるのを困難にさせる、といった状況が実際に存在するのである。人はキリスト教と不幸な出会い方をするかもしれない。それについての歪んだ観念が行き渡り、それを代表すると称する人間たちの腐敗や横暴がはびこり、世の中全体がそれを敵視し軽視しあるいは無視するとき、それでもなお、神は人に対して、キリスト教を選び取らなかった責任を問う権利があるのか?
 それゆえにまた、それは神の正当性をめぐる問題でもあるのだ。これについては、後に続く章でも扱われることになろう。
 ただ、ここで考えておきたいのは、彼ら、責任を果たさなかった者たちが、おしなべてこういう状況にあった、ということなのである。なべて彼らは、規範に従うにはあまりにも困難な状況にあった。カナンの民にとって、神の言葉は自分たちの命を地の表から拭い去ろうとする脅威として現れたのだし、(後に取り上げられるセオドア・ドライサーの<アメリカの悲劇>の主人公)クライドにとってキリスト教は、そこから逃げ出すべき貧困と惨めさの象徴だった。三十年代のソ連にあっては、それはブルジョアの幻想、過去に属する愚かな過ちであり、そんなものを規範とするなんて、全く話にならない状況だったのである(「キリスト教的な道徳は、いとも気軽にブルジョア的な道徳と同一視され、『汝殺すなかれ』という昔からの戒律さえも、ブルジョア的とされてしまっていた」)。
 それでもなお、彼らには責任があったのか?

           *            *

 最後に、生命の意味をめぐって。

「この最後の手段のことを考えるといつも私の心は慰められ、安心させられるのだった。とても生きるに耐えられないと思った時期に何度か一緒に自殺しようとオシップに言ったものである。だが私の言葉はいつもオシップからの激しい抵抗を呼び起こした。・・・
『そのあとどうなるかどうしてお前に分かるね? 生命は天から与えられたものだから、どんな人間もこれを放棄してはならないのだ』
 というのがその根拠であった。そして、
『どうしてお前は自分が幸せでなくてはならないなんて思い込んでしまったのだ?』
 という言葉が私にはいちばん説得力のある最後の根拠であった。・・・
「・・・この運命の敷居をまたぐことが人々にとってどんなに難しいかに私はいつも驚かされる。キリスト教では自殺を禁じているが、そこには何か深く人間の本性に合致するものがあるのだ。私たちの時代は生きることの方が死ぬことよりはるかに恐ろしいことを見せつけたが、人間はこの死への一歩は踏み出さないものなのである。私が一人きりになったとき、いつも私を支えてくれたのは、『どうしてお前は自分が幸せでなくてはならないと考えるのか』というオシップの言葉と、それから司祭長アヴァクームの言葉であった。『私たちはあとどれだけこうして歩いていかねばならないのですか?』と、疲れ果てた妻が彼に尋ねた。『墓までだよ、お前』と夫が答えると、妻は立ち上がってまた歩きだしたという。」

 あの時代にスターリン批判の詩を書いたオシップとその妻は、--当然と言えばあまりにも当然な話--次第に追い詰められてゆく。

「死に方を選びながらオシップは、わが国の指導者たちの著しい特質である、迷信的とも言えるほどの、詩への計り知れぬ尊敬を引き合いに出して、私を慰めるのであった。
『嘆くことはないじゃないか。詩が尊ばれているのは、わが国だけだよ。詩のために人殺しをやっているのはね。詩のために人がこんなに殺される国はどこにもないからね』
 と彼は言うのだった。」

 それから、オシップがスターリン賛歌の詩を書くようにという圧力についに屈するまでの経過が痛々しく語られる。

「舌を持っていた人々は、最も忌まわしい拷問を受けてきた。舌をちぎられ、その舌の根で元首を讃えるよう命じられたのである。生の本能には勝てない。それは、物理的存在を長らえようとするかぎり、人々をこの種の自己破滅に追いやった。生き長らえた者も、滅びた者と同様、屍となった。・・・
「『賛歌』はやはり書かれた。しかし、その使命を果たさず、オシップを救えなかった。最後の瞬間に、オシップはやはり要求されたことをした。すなわち賛歌を書いたのだ。たぶん私が滅ぼされなかったのはそのためだろう。とはいえ、激しく迫害されたが。夫が注文を果たした場合、その注文が受け入れられなくても、その未亡人に対しては手心が加えられるのが普通だった。オシップもそのことを知っていた」

 ソクラテス--「難しいのは死を免れることではない、下劣を免れることである」
 オシップ・マンデリシュタームは、最後の最後になって下劣を免れることに失敗したのか? 見方によってはそうである。見方によってはそうではない。
 結局のところ、彼はミューズへの忠誠を捨ててまでも妻の命を守ろうとしたのだ。それは芸術的な降伏であったかもしれない。しかしそれは道徳的な勝利であったのだと、考えることができないだろうか?

次章へ
 
目次へ戻る





下の広告はブログ運営サイドによるもので、中島迂生とは関係ありません

同じカテゴリー(中島迂生ライブラリー)の記事画像
2024年1月 さいきん発表した作品たちまとめ
さいきん発表した作品たちまとめ
Les tableaux peints pour mon projet de film
<モネの庭の想い出>シリーズの制作メモ
祖父について補足 思い出すままに
モネの庭の想い出:私の家族を描いた映像作品のためのスクリプト
同じカテゴリー(中島迂生ライブラリー)の記事
 2024年1月 さいきん発表した作品たちまとめ (2024-01-10 06:59)
 さいきん発表した作品たちまとめ (2023-08-18 03:20)
 Les tableaux peints pour mon projet de film (2021-09-16 04:27)
 <モネの庭の想い出>シリーズの制作メモ (2021-09-15 02:42)
 祖父について補足 思い出すままに (2021-09-15 02:15)
 モネの庭の想い出:私の家族を描いた映像作品のためのスクリプト (2021-08-28 05:57)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。