2013年11月30日

創造的な不幸-22-

創造的な不幸-愛・罪・自然、および芸術・宗教・政治についての極論的エッセイ-
この作品について   目次

-22- 文学の問題、その1


 文学の問題。

 神々は、我々を人間とする為に何らかの欠点をお与えになる。
 ・・・You, gods, will give us
    Some faults to make us men.
            ---<アントニーとクレオパトラ>第五幕第一場

 Aはこの言葉が文学の問題の本質を突いているのを感じ取って、長らく忘れられなかった。
 我々はここでの神が小文字のgodsであって、大文字のGod ではないことに留意すべきである。God は--キリスト教の神は--我々を人間とするために欠点を与えたりしなかった。その神は我々を、はじめから完全なものとして創造したのであり、人間の方が自ら罪を犯して不完全なものとなったのだ。
 ところが人間のその不完全性が、文学に対して--あるいは芸術全般に対して--はかりしれない奥ゆきと広がりと深みとひだとを与えてきたこと、これは否定し得ない事実ではないのか? いや、順序から言えば、人間の不完全性こそがこの不完全なる世界における芸術を生み出してきたのだ。それでは、人間の罪と、それゆえに生じる一切の苦しみと理不尽--それは芸術のための必要悪なのか?

 ヴォルテールの"The World It Goes" 。
 これはヨナ書のパロディーである。
 流血の都市ニネベ。
 神は預言者ヨナに命じて「彼らの悪が私の前に達したことを」告げさせ、「あとわずか四十日でニネベは覆される」ことを布告させる。
 すると驚くべきことに、住民たちはこぞって悔い改め、その悪と暴虐の道から引き返して神に信仰を置くようになる。この知らせがニネベの王のもとに達すると、彼は自ら粗布を身にまとって灰の中に座り、悔い改めを布告する。
「まことの神が翻ってまさに悔やまれ、その燃える怒りから離れて、我々が滅びないようにしてくださることはないと、誰が知っていようか。」
 それで神は彼らがその悪から立ち返ったのを見て、彼らに加えると宣言したその災いを加えなかった。
 ヨナ書の大筋はざっとこの通りである。
 しかるに、ヴォルテールの短篇においてはニネベがペルセポリスに変わる。滅びの宣告を携えてゆくのは、ヨナではなくて一人の天使である。
 彼はペルセポリスを検証すべく、しばらくそこに滞在する。なるほどその都市は悪徳と不徳義に満ちている。ところがそこに住むうちに、天使はだんだんとその都市が好きになってくる。なるほど悪徳に満ちてはいるが、それに勝って人間的な魅力に富んだ都市でもあったのだ。
 そこで天使は一人の職人に命じてダイヤモンドと土塊とで彫像をつくらせ、それを神のもとに持ってゆく。
「神よ、これがすべてダイヤモンドでできてはいないという理由で、あなたはこの愛らしい彫像を壊しておしまいになりますか」
 それで神はペルセポリスを滅ぼさなかった。

 この二つの話において、決定的な違いは、滅びを宣告された人間の側の行動にある。すなわち、ニネベの人々は己れの悪を捨てたので、神もまた加えようとしていた災いを放棄した--この点において神の言葉は果たされなかったが、その目的は悪を断ち滅ぼすことにあり、それはすでに達せられていた、すなわち、邪悪であった人間がもはや邪悪でなくなっていたからだ。だから神の威信は少しも傷ついていないし、その義の規準も侵されていない。ところがペルセポリスの場合、人々は何らの変化も遂げないのであり、逆に神の方が天使に説得されて考えを変えるのだ。これは、ヒューマニズム--人間至上主義の威光の前に、神の権威ですら退けられることを意味する。
 十八世紀のオプティミズム、科学の発達、啓蒙思想。人間性への無邪気な信頼が、ヴォルテールとその時代の特色だった。
 人間は人間だけで善悪の規準を定めてやってゆける--それはまさに、エデンで蛇がエバをたぶらかした言葉ではなかったか。
 エデンからの追放、ないし脱出、それは人類の原風景である--禁断の木の実を手にしたとき、エバはエデンを捨て、神の権威を退けた。彼女は「神の如くなり、決して死することなし」という蛇の言葉を信じたのだ。近代のヒューマニストも基本的には同じことを繰り返したのであり、ただ彼らは、蛇と違って自らの主張を誠実に信じていたのだった。
 ヴォルテールの神は偶像を打ち壊さなかったが、1914年から始まる一連の出来事がそれを打ち壊した。人間は人間だけでけっこううまくやってゆけるのだ、そりゃあ神の目から見れば不完全で罪深いかもしれないが、それなりに、いやそれだからこそ、魅力的で愛すべき存在ではないか。--そういう幻想を、この現実が打ち壊したのだ。

 1914年8月4日、ヘンリー・ジェームズの書簡。
「我々が今、悪夢の中に生きているのではないように語ってもむだなことです。過去の恐るべき流血と恐怖の深淵に、文明社会はつき落とされてしまったのです。時に後退することはあっても、世界は次第によくなると信じてきた我々の年月は、すべてむだになってしまいました。けれどもこの欺瞞の年月の間に我々が目指し、意図してきたもののすべてを今ありのままに受けとめるというのは、あまりに悲劇的で、言うべき言葉も見つかりません。我々の過去の愚者の楽園の一切が、その正体を暴露されてしまったのです。そんなもののためにえいえいと努力してきたとは、我々は何と愚かだったのでしょうか。」

 打ち砕かれた人間至上主義の悲しみ。
 人間の罪は、文学にとってたしかに豊かな源泉となってきたかもしれない。けれど、<孤独の発明>以後、Aは思うようになった--文学が必要とする苦しみと理不尽の最大指数というものが仮にあるとして、この世界はそれをはるかに凌駕している。
 それゆえマヤコフスキーは自ら命を絶った。彼は二十年代ソ連における農村の惨状を目にして、自分が見たものを書き続けることにもはや耐えられなかったのだ。

「詩人マヤコフスキーは私が何とか理解しようとして果たさなかった詩人だが、偉大な才能の十字架と共に、憎しみ、怒り、暴力を背負い、自分と自分の民族の苦悩に意味を見いだすことに失敗した人間だった。・・・天才がいかに偉大であろうと、いつまでも無限に否定だけを糧にしては生き続けられない」              --ロレンス・ヴァン・デル・ポスト<ロシアへの旅>

 あるいはアドルノ--「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」
 Aは、神によって断罪された文学の死を悲しむ。Aはペルセポリスの像のために、丘の上で哀歌を唱えたいと思う。
 それでも尚、だれもそれを凌駕できない。なぜなら、相手は神だからだ。神を捨てること、拒否することはできる。しかし、凌駕することはできない。
 再びローマ書--「すべての人は罪を犯したので神の栄光に達しない」

           *            *

 文学と完全性について。

 将来地上に回復されることになっているパラダイス、完全なる人間の住む完全なる世界、そういう世界に文学の生まれる余地はあるか?
「神は光であり、神との結びつきにおいてはいかなる闇も存在し得ない」--そのような世界に、文学は存在し得るのか?
 Aはかつて自分の属していた会衆を思い出す--彼らのうちに、思想においても言動においても存在する、越えることを許されない明確な一線。悪を絶対に許容しない、道徳的な強靱さ。文学も芸術も「もののあはれ」も幽玄の興趣も、何ものもその倫理規準を超越することは許されない。エホバ--愛と義のアマルガム。
 彼らのうちに文学らしきものが存在するとしても、それはいつでも真理のプロパガンダ装置もしくはその探究の手段であり、決して文学そのもののための文学ではなかった。けれど、ああ--神の規準によって真ん中で分断された「もののあはれ」など、とても見られたものではない。
 そういう人々のうちにあって、文学はどうすればいいのか。ただ真理のプロパガンダに専念していればいいのか。中世の聖者伝、あるいは長らくロシアの文壇を毒してきた社会主義リアリズムのようになってしまっていいのか。それでは文学の死ではないのか。それとも、(カフカについて一注釈者が書いたように)文学とは真理の探究であるなら、真理が見い出された今、文学は死んでしまって構わないのか--真理がそれほど貴重なものであるなら。

           *            *

 一方、Aにとって文学の本質とは、他でもない、<神への反逆>だった--他に何があろう? それは神の創造したこの世界に対抗して、全く別の、新しい秩序を打ち立てる行為であり、神の定めた<世界の真実>に対する、最も深い意味での挑戦だったのである。Aの創り出した世界では、人は神に仕えることなしに幸福に生きることができ、社会は神の権威なしに立ちゆくのだった--すなわちそこにおいては蛇の嘘が真実となったのだ。それゆえAの<文学>は、例えば<権力と栄光>の背景となった六十年代のメキシコや、ソ連におけるような共産主義革命なんかよりも何倍も重い罪だった。なぜなら、革命は現実の世界に起こったのであり、現実の世界は常に神の定めた<世界の真実>に左右されているからだ--人々の間でキリスト教がどれほど衰退しようと関係ない、それはもっとアプリオリなものであって、あらゆる人間はついにそれから逃れられないのだ。げんに二十年代に始まるソ連の惨状は、神なしのユートピアの建設が不可能であったことを反駁の余地なく実証して、「此人彼人を治めてこれに害を蒙らしむることあり」という神の言葉の正しさを、逆説的に明らかにした。だからもしも、人がこの過程をつぶさに観察して、神の正しさについて確信を得、その結果神に仕える生き方を選ぶ決定を下したとすれば、それは神にとって喜ばしいことではないか?
 そしてそれは、革命がどれだけ大量の、罪のない血を流したとしても尚真実なのである。実際、神が現在に至るまで、エデンの外における人類の存続と、その道徳的混乱の存続とを許している理由はここにあるのではなかったか?
 それに対して、Aの<文学>は一滴の血も流さないので、一見すればそれは無害と思えるかもしれない。しかし、こういうことが起きたとしたらどうだろう? 仮にAの書いた小説が世に出たとする。そして、経験の少ない、若いキリスト教徒がそれを読み、それに影響されて神なしのユートピアの可能性についての幻想を抱くようになって、その結果神の道から迷い出るようなことになったとしたら? そして、終末のときにこの世と共に滅ぼされるようなことになったとしたら?
 そうしたら、神のもとから一つの魂が失われたことに対してAは間違いなく血の責任を負うのであり、「これら小さな者の一人をつまづかせるよりは、挽き臼を首にかけられて海に投げ込まれた方がましである」とのキリストの言葉を身に受けることになるのだ。
 こうして、間違った思想が間違った行動の萌芽として、行動そのものより罪深いとすれば、神の目には、スターリンよりもマルクスやロバート・オーウェンの方がなお罪深いと、我々は考えることができないだろうか?
 ナジェージダ・マンデリシュタームが、二十年代の文化人たちを批判した言葉を思い出されるだろうか。二十年代そのものは躍動に満ちたすばらしい時代だった、ただそのあとの路線を誤ったからすべてがおかしくなっていったのだという考えを、彼女は退けている--「彼らは、その後起こったことに対して責任を認めていないのである。しかし、果してそうだろうか? なにしろ、当時あった価値観を破壊して、新しい国だ、未曾有の実験だ、樹を伐れば木っ端は吹っ飛ぶといった、今もなくてはならない形式を発見したのは、他ならぬ二十年代の人々だったのである。すべての死刑は、目下我々は二度と暴圧のない社会を建設しているのだから、・・・どんな犠牲も許されるのだと、正当化されていたのである。・・・」

 ところで、ここで我々は「神に断罪される共産主義」という図式を転換して、「自分の認める以外のあらゆる文学形式を断罪する、キリスト教のアナロジーとしての共産主義」という図式によってもまた、この問題を考えることができる。共産主義思想がキリスト教から生まれたことを、"Portage" のヒトラーも指摘していなかっただろうか。ナジェージダ・マンデリシュタームもまた書いている--「信奉者たちがつつましくも科学と呼んでいたこの宗教が権威を授けた人間は、神様並みに高められる。この宗教は、自分の信仰の象徴と道徳とを作成した。・・・一九二〇年代には、少なからぬ人々が、キリスト教の勝利の歴史から類推して、新しい宗教の千年王国を予言した。さらに最も良心的な人々は、教会の犯した歴史的な罪業を列挙しながら、キリスト教の本質は宗教裁判によっても変わらなかったくらいだから、新しい宗教もそうだろうと類推をたくましくしたのである。・・・」
 そしてこの新しい宗教が、文学に対していかなる態度を取ったか--
「わが国では遠慮会釈なく経歴や死亡年月日が歪められている。オシップがヴォロネージでドイツ人に殺された、という噂を流したのは誰か? 収容所で大量に人が死にだしたのは四十年代初めからだ、といっているのは誰か? 現存の、また物故した詩人たちの詩集を立派な作品はみなわざと抜かして出版しているのは誰か? 命を落とした作家や詩人、今も生きている作家や詩人のもう出版されるばかりになっている原稿を、何年も編集局にしまいこんでいるのは誰か? そんな例はとても全部は数えきれない。さまざまな形の保管庫にしまいこまれたり、埋もれたりしているものはあまりにも多く、焼き捨てられたものはさらに多いのである」
「・・・この時代の注目すべき特質は、人を殺し自分も命を落としたこういう新しい人たちすべてが、自分だけにしか思考し判断する権利を認めていなかったということであった。・・・昼夜時を分かたず護衛つきで自分たちのところへひっぱってこられる人間が、自分に自由な詩を書く権利があることをいささかも疑っていないと知ったら、取調官の誰もが哄笑したことだろう。・・・ヤーゴダはオシップの詩がすっかり気に入って空で覚えていたほどで、・・・この詩をブハーリンに自ら読んで聞かせたのだが、自分に有利だと考えたなら彼は過去、現在、未来のすべての文学をためらうことなく抹殺したにちがいない。」
「スルコフはパステルナークの小説がどうして悪いのか私に説明してくれた。ドクトル・ジヴァゴにはわが国の現実を判断する権利がない、我々は彼にそういう権利を与えなかったのだから、というのである。」
「死に方を選びながらオシップは、わが国の指導者たちの・・・詩へのはかりしれぬ尊敬を引き合いに出して、私を慰めるのであった。『嘆くことはないじゃないか。詩が尊ばれているのは、わが国だけだよ。詩のために人殺しをやっているのはね。詩のために人がこんなに殺される国はどこにもないからね』と彼は言うのだった。」
「・・・家政婦は、自分たちはみな不法に流刑に処されているのだと主張していた。たとえば彼女だが、彼女は逮捕される頃にはもう自分の党の仕事から離れていたし、逮捕されたときは私人であった。
『彼らだってこのことは知っていましたよ!』
 と彼女は言うのだった。だが私には・・・どうも彼女の主張が分からなかった。粉砕された党の一員であったことを自ら認めるなら、なぜ彼女は自分が流刑に処せられていることに腹を立てるのだろう? わが国の基準からすればそれが当然なのである。そう私はその時考えていた。『わが国の基準』は・・・恐ろしくて残酷だが、それが現実であり、強大な権力は、たとえ今は活動していないにせよやはり動きだすおそれのある公然の敵たちを黙って見ているわけにはいかない。・・・
「ナールブト・・・の観点からすればオシップを流刑に処さないわけにはいかなかった。『国家は自衛しなければならないだろう? でなければどうなるか、考えてごらんよ』
 私は反駁しなかった。出版されたのでもなければ公衆の前で朗読されたのでもない詩は思想と同じである。思想ゆえに人を流刑にはできないと、言い争ったり説明したりする必要があっただろうか。」

 思想ゆえに人を流刑にはできないだって?・・・とんでもない! 思想こそは全く、そのために人を流刑にしたり殺したりする最大の根拠なのである。イエスも言ったのではなかったか--「心から出るものが人を汚す」と。
 あらゆる罪と反逆とは思想から始まる。最初の罪は一人の天使の心の中で始まったのだ。彼の「思想の自由」ゆえに。それがまた「女を見てこれに欲情を抱く者は・・・」ということの意味だし(ノアの日に、「まことの神の子ら」においてそれがいかに真実となったかを見よ)、それがまた「神を愛せ」という第一の掟の意味でもある。最大の掟がかくのごとく、法律をもって罰することのできない掟であったことには意味があるのだ。この掟は、心を、思想を支配する掟であったからだ。
 共産主義がキリスト教のアナロジーであるのなら、そのもっとも忌まわしい部分もまた、キリスト教にその原型を見い出すことができるのである。
 それゆえ、キリスト教は、あらゆる芸術がそこから生み出されるところの精神性のあり方そのものを規定するのであるから、芸術の立場からすれば、それは芸術に対する最大の冒涜である。他方、キリスト教の立場からすれば、芸術は、神に対する精神の全き服従という第一原理を無視しかねないのだから、芸術のそういう本質こそは神に対する最大の冒瀆である。
 スターリン主義と文学とのあの軋轢に満ちた関係から、我々はこの本質的真理を学ぶことができるのである。

 自らの芸術によって新しい世界を創造すること、自らの芸術を神と張り合う位置にまで高めること。
 芸術の持つこういう力を認識するとき、中世ヨーロッパにおいて役者や音楽家が賤民の部類に入れられていたのは何ら驚くべきことではない。そうすることによって教会は、芸術をくびきのもとに屈伏させ、芸術から自らを守る必要があったのだ。カミュによれば、十八世紀においてすらそうだった。

「俳優のこような習練をカトリック教会がどうして断罪しなかったはずがあろう。この芸術における魂の異端的増殖、感情の放蕩、ただ一つの運命しか生きぬことを拒み、あらゆる放埒に身を投じてゆく精神の破廉恥な意図を、教会は退けた。・・・それらは教会の教えるものすべての否定に他ならないからだ。永遠は演技ではない。永遠より芝居を好ほど無分別な精神は、自分の救いを失ってしまった。・・・俳優という実に卑しめられていた職業が、異様なまでの精神の葛藤を引き起こす所以はここにある。
「十八世紀の著名な悲劇女優アドリエンヌ・ルクーヴルールは、臨終の床で懺悔と聖体拝受を望んだが、その職業を否認することは拒んだ。それゆえに彼女は懺悔の恵みに浴することができなかった。まさしくこれは、自分の深い情熱を選び、神を敵とすること以外の何であろう。そして、臨終の苦しみにあったこの女性は、自分が芸術と呼んでいたものの否認を涙ながらに拒むことによって、かつて彼女が舞台で脚光を浴びていたころには絶対に達し得なかった偉大さに達したことを証明したのである。それは彼女が演じたうちでもっとも見事な役、しかももっとも困難な役であった。天と、それに比べればいかにもつまらないものに思える自己への忠実とのどちらを選ぶか、永遠より自己をよしとするか、それとも神の中に身を沈めるか、これは敢然として生きねばならぬ数世紀来の悲劇なのだ。
「当時の俳優たちは自分が破門されていることを知っていた。俳優という職業に入ることは地獄を選ぶことだったのだ。そして教会は彼らの中に最悪の敵を見ていた。文人たちの中には、『なんだと、モリエールに最後の救いを与えることを拒否したんだと!』といって憤慨する者も何人かあった。だがそうした教会の態度は正当だった・・・」<シーシュポスの神話>

           *            *

 当時小学生だったAは、これだけのことを言葉にして意識化するだけの知的な勇気も、冒瀆的な正直さも持ち合わせていなかった。しかしながら自分がしていることの意味をおぼろげながら認識していて、その認識がまた、Aを苦しめたのだった。なぜなら、当時のAはまだ、神を捨てていいとは思っていなかったからであり、神への崇拝をどんなに重荷と感じても、その必要性については何の疑問も抱いていなかったからだ。
 それでも尚、Aにとって<文学>は、重苦しい神の権威からの唯一のサンクチュアリであり、道徳的アムステルダムだったのだ。当時Aの属していた会衆では、あらゆる楽しみが断罪され、芸術的感性は絞殺されて死に絶えていた。集会に連れられてゆくとき、Aはいつでも戸口に傘を置くように自分の<文学>を置いて中に入り、帰るときにまた持ち帰ったものだ。そこは全く、十七世紀のボストンみたいなところだった。それにもちろん、神の命令は(愛せよ、従え、善良なれ)、Aがどこにいてもつきまとってきた。ペンを手にして紙に向かっているときだけ、Aは自由に息をすることができたのだ。この領域までも神の手に引き渡すなどということは、Aにとって、考えるだけでも耐えられなかった。自分の内的世界全体が根こそぎ奪い取られるようで、そんな想念が頭をかすめるたびに、Aはぞっとして身震いした。
 けれど、そんなふうにいつまでもどっちつかずの状態でいるわけにいかないことは、Aにもよく分かっていた。Aは知っていた--あまり考えたくはなかったが--将来のいつかに、どうしても避けられない、命がけの対決が控えていることを。

 Aはまさに最初から、引き裂かれた存在だったのだ。
 一方では、自分はもちろん神に仕える人生を歩むことになるだろうと思っていたし、もう一方では、もちろんそんなことにはならないだろうと思っていたのだから。

           *            *

 それから、<孤独の発明>との出会いがやってくる。
 ここにおいてAははじめて、伝統的ヨーロッパ的文学観に出会ったといっていいだろう--すなわち、文学とは形而上学的な問題に渡るものであり、また、渡るべきものであるということ。

 それより三年ほど前に(Aは十四かそこらだった)、Aは同じオースターの<幽霊たち>に出会っている。それも衝撃的な出会いだった--近代世界がカフカに出会ったときの衝撃。こんな小説が書かれ得るのか! と思ったものだ。その頃のオースターのキャッチフレーズは<エレガントな前衛>だった。
 恐らく<幽霊たち>を知らなかったら、<孤独の発明>との出会いもこれほど強烈ではなかっただろう。あの小説を書いた、彼ですら意味を求めていること--「彼もまた意味を渇望している」
 これまでの歴史の中で引き起こされてきた、世界中の苦しみ--これらすべてには一体何の意味があるのか、どこかに救いはないのかと、凄まじいばかりに問いかける彼の姿。「世界は残虐であるがゆえに。世界は人を絶望にしか導きえないゆえに。ひとかけらの救いもない絶望、どこにも出口のない絶望。何ものもこの牢獄のドアを開けることはできない。希望の消滅、それがこの牢獄の名だ。・・・彼はこれ以上先へ進めない」

 けれどもこれほどまでの世界の絶望は、ちょうど逆光になったものの影の濃さが背後の光の強烈さを際立たせるように、Aをして、劇的な仕方であるものの存在に対して目を開かせたのである--すなわち、神の希望に対して!
 生まれてはじめて、Aは自分が長年にわたって提供されてきたものの何たるかを理解した。すなわち神の教えとは、この世界の道徳的無秩序に対する答えであり、意味であり、救いであったのだ。

 その本を一気に読み通したときの感動を、Aは思い出す。
 それはダマスカスに向かうサウロの前に現れたまぶしい光さながらだった。その日を境に、Aは突如急転回して神の道を突っ走りはじめる。
 Aを根底から揺さぶったあの感動に、Aの激しい思い込みと、思い込んだら誰にも動かせない頑迷さと、命がけで突っ走る激烈さとが結びつけば、始末に負えないパリサイ人ができあがるのは火を見るより明らかだった。
 Aは思い出す--自分の目を開かせてくれた感謝と共に、ぜひとも彼に真理を伝えなければという使命感に駆られ、拙い英語で便箋十枚ばかりの手紙を書きつづってオースターに送ったこと。その手紙が住所不備で結局彼のもとに届かなかったことを、Aは全くもって感謝する次第である--誰に? 恐らくは、<現代の無>に。

 それからAが苦悩に押し潰されて身動きがとれなくなるまでに、長くはかからなかった。人に向けた鋭い裁きの刃を、Aは自分自身に対しても突きつけたからだ。
 とりわけAを苦しめたのは愛の問題だった。
「あなたは心をこめ魂をこめ、思いをこめ力をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない--これが最大で、第一の掟です」
 Aは神を愛せなかった。

 苦悩が言葉を持つ前の、果てしない苦悩。
 苦悩が言葉を持って語りだしてからの、再び、果てしない苦悩。
 自らを説得しようとして自問自答を続けたために残された、膨大な量のメモ--あまりに教唆的で、あまりに容赦なく、読み返そうとしても目に触れただけで、当時の精神状態が思い起こされて息苦しくなり、吐き気がしてくる。

 神への愛について。
 フェデリコ・フェリーニの<道>。
 ジェルソミーヌと連れの男が、旅の途中でとある修道院に一夜の宿を借りる。そこの修道女の一人が、ジェルソミーヌに向かってこんなふうに語りかけるのだ。
「旅をされているのですね。私たちも、二年ごとに修道院を移り住んでいるのです」
「なぜ」
「長く暮らしていると、庭の草一本にでも愛情がわいて、その分だけ神様へのおつとめがおろそかになります」

 その反証。
 カポーティの<草の竪琴>。
 恋人と一緒に、線路の上に止めた車の中で列車がくるのを待っていたライリー。
 彼は言う--彼女のことを、ほんとに愛することができないんだ。そうすることが僕の願いなのに。
 すると聞き手の一人が答えるのだ--お前は反対の方向から始めようとしたのだよ、ライリー。どうして一人の娘を想うことができる? 今まで一枚の木の葉にでも心を寄せたことがあったかね? 一枚の木の葉、一握りの種、まずこういうものから始めるんだ。そして愛するとはどういうことなのかを、ほんの少しずつ学ぶのだ。

 神への愛について。
 苦悩の中のA。彼は一枚の木の葉を前に自問する--これと神と、己れはどちらをより愛しているか?
 そうやって一つずつ、すべてを切り捨ててゆくことが、神への愛を培う唯一の方法だと思っていた。こうして世界はどんどん色あせ、すさんでいった。
 しかし、キリスト自らそう問うたのではなかったか? 彼はペテロにそう問わなかっただろうか--しかも三度も。「あなたはこれらのすべてよりも私を愛していますか」と。

 そして、インディサイスィヴであることもまた罪なのだ。
「汝らいつまで二つのものの間にてまよふや エホバもし神ならば之に従へ されどバアルもし神ならば之に従へ」---1Ki18:21
 ずっと長い間、Aは恋人から結婚を迫られている男みたいに、ぐずぐずと決定を引きのばしてきたのだった。
 Aは神に献身しなければならないと分かっていながら、尚どうしても自分を捨てられずにいた、そしてそういう自分のふがいなさにすっかり嫌気がさしていた。Aにはいやというほど分かっていたのだ--エリオットが皮肉って言ったように、我々は決定を引きのばす強さだけでなく、決定を下すだけの強さをも持たなくてはならないことを。
 どれだけ長い間、Aは絶望的になりながらも、己れの心を神に屈伏させようとして必死に戦い続けたことだろう--Aは常に戦場だった。
 そしてその間にもどんどん時間は経ってゆき、女の方は待ちくたびれて年をとってゆく。これは神の忍耐が尽きて、終末が到来するのに相当する。
 どっちつかずの辛さというものは、Aの場合、精神的な、形而上学的なものでは全然なかったのだ。それはもっと身近で、それこそ肌で感ぜずにはいられないような種類のものだった。すなわちAのまわりには、小さい頃から神の言葉を教え込まれてきた従順な優等生たちがいっぱいいて、彼らが組織の規範に則って一つ一つ着実に段階を踏み、さいごに神への献身と全き自己放棄の象徴としての洗礼を受けてゆくのを、Aはずっと見てきたのだ。Aと大して年も変わらず、あるいは年下でさえあるのに、彼らが神の前に於ける立場の点でははるか先へ行ってしまっていて、一方己れは自らの不従順ゆえに一人取り残され、どうしようもない劣等感に苦しめられているのだった。
 そして、この国にあって、神についての概念が全然一般的でない中にあって、キリスト教徒であることの意味するところを彼らが十分には理解していないとしても、それは問題ではなかった。神にとって重要なのは、人が何を理解しているかということよりも、どんなふうに生きているかということなのだ。そして神のもとにとどまって学び続ける限り、人はまた必ずや理解をも得るのだった。
「お許しください、私はほんの少年にすぎません」
と言ったエレミヤに向かって、神は請け合わなかっただろうか--
「私があなたと共にいて、あなたを助ける」と。
 彼らはそこまで深い認識なしにバプテスマを受けるかもしれない、しかし彼らはその誓いに調和した生涯を送る。そのために自分で考えるということをついに知らぬまま終わったり、幾分パリサイ人化したりもするかもしれない。それでも尚、いちばん重要なのは、神に仕え続けることだった。

 あるいは伝道活動。
 訪問を受ける側にしてみれば、それはただ腹を立ててドアをバタンと閉めるか、またはご苦労さんといって雑誌を受け取るくらいのことにすぎなかった--ものの一分もかかりはしない。しかし、訪問する側はドアを叩くたびに、迫り来る終末からの救いと、神への献身に至る長い道のりの始まりとを提供してたのだ。自分がそれを選び取れないでいるAにとって、それは最高に不誠実な行為だった--己れに対しても神に対しても。
 それゆえAは苦しんだ。それでも尚Aは出掛けていった--行って王国を宣べ伝えよと、神が命じていたから。

           *            *

 カポーティの<ティファニーで朝食を>。
 ヒロインのホリー・ゴライトリーは、もとは貧しい孤児である。三十年代南部のひどい時期、盗みを働いて食いつなぎ、やがてとある農家に引き取られて養われることになる。そして、十四の年で、男やもめであったそこの主人と結婚する。みんなに大事にされて何不自由ない暮らしだったのに、彼女は田舎での平穏な暮らしに飽き足りず、やがて家を飛び出して都会へ行ってしまう。
 ホリーはチャンスをつかむ。O.J.バーマンなるマネージャーに見い出されて、映画女優となる訓練を受けるのだ。ところが、富と名声の可能性をあっさり捨てて、ある映画の大事なテストの前日、彼女はふらりとニューヨークへ飛んでいってしまう。
 そこから電話をかけて、彼女は言う、あたし今ニューヨークに来ているの。
 何だってニューヨークなんかに? バーマンは激昂してつっかかる。
 あたしニューヨークに行ったことがなかったから来てみたのよ。
 すぐ戻ってこい、このバカ者!
 いやよ。
 何だって? 一体何を考えているんだ?
 あたしあんな役やりたくないわ。
 じゃあ、一体何をやりたいんだね?
 それが分かったらいの一番にあんたに知らせるわ。
 こうしてニューヨークに住みついたホリーは、職にも就かず、飼い猫に名前もつけず、アパートの表札には<旅行中>と記して、男たちから貰うチップで気ままな独り暮らしを続けている。
 語り手の青年が彼女と出会ったのはこんなときだった。ときにホリーは十八才だ。
 あたし、もちろんお金もほしいし、有名にもなりたいのよ、と彼女は説明する。でもそのために自分自身でいることを犠牲にしたくないの、決してね。いつかあたしがあたし自身でいられるような安住の地が見つかったら、猫に名前をつけて、家具でも買うことにするわ。
 仮住まいのホリーのアパートには家具らしきものがなくて、スーツケースをひっくり返してテーブルにしている。
 ホリーはすらりとしてスタイルがよく、いつも地味だけども趣味のよい恰好をして(黒、ブルー、灰色)、そして「レモンか、朝食のシリアルのように」清潔である。ときどき「いやな赤」に悩まされ、タクシーに飛び乗って五番街のティファニーに駆けつけたりする。
 そう、彼女にあっては形而上学的苦悩も、ときどき心の片隅を曇らす「いやな赤」にすぎない。
 人は誰でも自分と正反対の人間に憧れるというのは本当ではないか? 
 こんな小粋で自由でよるべないホリーの生き方にこそ、Aは憧れてやまなかった。ひとときの心の慰めを求めて陽だまりに腰を下ろし、(映画の中でホリーがしたように)ギターを取って<ムーン・リヴァー>を歌っては、彼女の手にしているような自由--物理的、精神的、道徳的自由に、自分がいかに遠く隔たっているかを思うのだった。
 <ムーン・リヴァー>の歌詞は原著にはない--映画化されるにあたって新たに書き下ろされたものである。けれどもそのメロディーが、ホリーの生き方全体に流れている、そこはかとなくよるべない気分を何と的確に表していることか--

 Moon River, wider than a mile
 I'm crossin’ you in style someday ・・・

 <大きな河>というイメージは、ホリーの生まれ育った南部を想起させる。例えば、ミシシッピー。ホリーが五才くらいのときに、大河の土手をよちよち歩きながら対岸も見えないくらいの茶色いしずかな水の広がりを見渡して、いつの日かここを渡ってやろうと実際心に誓った、と考えてもいい。しかしそれはまた、成長してニューヨークに住む彼女の心象でもある。ムーン・リヴァーの向こう側は、ホリーの探し続けている安住の地を象徴する。けれども安住の地なんてものは、本当はどこにも存在しないのだ。それは美しい幻だった--渡ってみたところで茫漠とした大地と、また次のムーン・リヴァーが広がっているにすぎない。無数のムーン・リヴァーを渡ってゆくこと、それが人生というものなのかもしれないが--。

 Aが神のもとに縛られていたころは、こんな詩的なニヒリズムを持つことは許されなかった。神の要求する生活はあまりにも散文的だった。人生は確たる目的を持っていて、人は日々それを目指して努力し続けなければならなかった。
 しかし尚、絶対者によって定められた目的以上に、人生にとって必要な何物があろう? それゆえ、Aはとても長いこと、己れを神に振り向けさせようとして労苦した。

 神と文学との対立。
「我らはもろもろの論説を破り、神の示教に逆ひて建てたる凡ての櫓をこぼち、凡ての念(おもひ)を虜にしてキリストに服(したが)はしむ」---2Co9:4,5
  神への献身は、一切の事物を神に屈服せしめることを意味した--それは太古より今に至るまで、生み出されてきたすべての文学のうち、神の規準にかなわない一切の部分を否定することを意味した--例えば、<ムーン・リヴァー>の詩情ですら。
 そのことを考えるとAは眩暈を覚えた。
 それでも尚、神への愛ゆえにAはそれをしようとした。Aは自分が出会うすべての文学を、神の道徳規範をもって裁断した。Aはミューズを冒瀆した--かつて一身を捧げてきた偉大なミューズを。それはあまりにも酷たらしいことだった。アブラハムの手をとめる天使は現れなかった。Aは自ら切り刻んだ文学の血にまみれ、神に向かってうめいた--エホバよ、ここまでひどいことを、あなたは私に要求なさるのですか。
 それゆえにAは神を憎悪した。

 文学とは何か。神への愛とは。
 それが分からないで、尚存在し続けるのはほとんど不可能だった。
 もはや存在し得ないところで存在し続ける苦悩。

           *            *

 それからさらに長いときを経て、Aはグリーンとかチェスタトンとかエリオットに出会い、自分が今まで文学だと思っていたのとは全然違うような<文学>が、この世の中には存在することを知ることになる。
 それは驚異だった--彼らが、文学によっても神に栄光を帰することができると、半ば本気で信じていたらしいことは。
 彼らはヨーロッパ的文学観の最も伝統的な部分を受け継いでいた。その見方によれば、文学の本質的な存在意義とは、読者を宗教的道徳的に裨益すること--バニヤン流にもっとはっきり言えば、読者を神のもとに導くこと--だった。そして、こうした見方からすれば、文学は今なお二義的な位置に甘んずるのであり、それ自身によって立つ価値とか力とかを持つことはない。エリオットがしばしば文学それ自身の無意味さとか無根拠さについて語っているが、それは誠実な物言いであると思う。しかし、もっと後代に下るにつれて文学は饒舌になり、バニヤンの硬直から次第に自らを解き放ってゆく。想起せよ--彼らの詩や小説や戯曲、それらが神を、神へ到る困難な道のりを語りながら、いかに手の込んだプロットや小道具や情景描写を併せ持ち、力強さと文学的感受性と想像力とに溢れ、そして--対話に満ちているかを。
 そう、それらは神をたたえることによって死んでしまってはおらず、否、神をたたえることによって生き生きと生命にあふれていた。彼らの多くは道徳的問題をその作品の中心に据え、その批評の多くもまたしばしば道徳的視点からなされている--そしてまさにそのことが、人の精神を力強く鼓舞しているのだ。
 そしてまた、彼らの罪の扱い方についても。そう、最もキリスト教的な文学とは、姦淫や殺人について語らない文学ではない。想起せよ--聖書そのものが、どれだけ夥しい罪の記録に満ちているかを。しかし、そこには厳然たる道徳的視点があって、義なる者は祝福され、悪しき者は裁かれるのである。その視座、その力、その行動によって、夥しい罪の記録は聖なる書と呼ばれている。
 それゆえ、いやしくも神にとって有用な文学というものがあるとすれば、それは、こうでなくてはならなかった。

 こういった種類の文学に、自分はなぜもっと早く出会えなかったのだろうかと、Aはしばしば訝ったものだ。
 彼らは--つまり、Aの属していた組織の指導者たちは--羊たちが、世俗のキリスト教文学と言われる書物を手に取ることを喜ばなかった。どちらかと言うと、避けたがっているふうにさえ思われた。それはなぜだったんだろう? 聖書だけ読んでいたのでは理解できなかったであろう幾多の概念を、自分はそれによって理解し得たのに。ずっと長いこと、Aはそれらの概念を、まるで目隠しされ、手袋をはめた手で彫像を触るような仕方でしか理解できないできたのだ。そしてまた、彼らはみな、あれだけ誠実に神を求め、あれだけ突きつめてものを考え、あれだけ魂を傾けて書いたのに。
 教義上の意見の相違によって、良心が混乱させられるから?
 あるいは単に、神のためにのみ費やされるべき時間や注意力を、不当に奪われるから? それとも、いかに偉大な文学といえども、所詮は死すべき人間の手になる業であり、不謬じゃないから?

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