2011年10月20日

制作メモ Oct2011 その2

連休のあとのメモ

三連休、いかがお過ごしでしたか。
私は、11月公演のイベント会場を見に行くのと稽古のほかには、ただもうひたすら新作のための制作に打ち込んでおりました。
いつもの舞台音楽制作と、あと何枚かの絵に色付けを。

なんかもう最近、ひとさまのやってるイベントとか見に行ってる余裕がないですね。
紅茶やビスケットをありえない勢いで消費しながら作業をつづけ、時々疲れると元気づけてくれるような本を読み、
朝起きて気が向くとたまにひとりでカフェに出かけてごはんを食べて、ついでに公園を散歩して芝生に寝っ転がってぼうっとしたりしてた。
誰もいない芝生でも、さいしょに誰かが入っていって寝っ転がってると、そのうち色んな人が来てわいわいバドミントンとか始めるんです。
そういうのなんとなく聞いてるの気持ちいい。
屋外の風に頬をさらして、木のにおいを吸いながらぼうっとしてる時間ってたまには必要ですね。
忘れないようにしなくちゃと思います。

毎回、あたらしい舞台の制作にかかるたびに、なにかあたらしい試みをします。
華やかな舞台にしたい。
見に来てくれた人が楽しいと思える舞台にしたい。
初回作の<エニスの修道士>では背景幕をがんばってつくりました。
次作の<エインガスの砦>では早着替えをがんばりました。
第3作の<石垣の花嫁>では道具製作に凝って毎回の運搬に死にそうな思いをしています。

毎回、せいいっぱいやって疲れ果てて、次は何か別のことにしよう、と思います。
努力を惜しんではいけないと思うけど、何とか疲れ果てずに楽しくやれる方法を探っていきたいと思う。
<ファニーとアレクサンデル>を撮り終えたあとの監督みたいに、「もう長編映画は撮らない」とか言いたくない。できれば。
だからやり方はいろいろ考えつづける。

今回の舞台のコロフィンを描いたデッサンはたくさんあって、今回はできればこれらを使って一部、映像を取り入れた舞台にしたいのです。
実はこれはさいしょからやりたかったことで、いままで色々技術的な問題があってできなかったのだけど。

そんなわけで、モノクロのデッサンに何枚も色をつける作業を始めてる。
以前、<愛蘭土情景>という題で画集にまとめ、展示も何度かやったものの一部で、7年前から描きつづけているシリーズです。
デッサン自体は何十枚もあって、でも描くのはとくに苦労しなかった。
文筆作品のシリーズと同じで、ぜんぶ降りてきたというか、オートマティックに描かされている感じでしたね。
ただ、そのなかで色をつけたのは数えるほど。
一枚色をつけるのにものすごく時間と労力を食うので、正直あまりやりたくないんです。
疲れるし、めんどくさい。
自分の目で見たときの印象はいまも強烈に残ってるので、迷うことはそんなにないのですけど。
ものすごい手間がかかって手が疲れるのに、何を描いてもだいたい同じような作風で、苦労してもたいして新しいものが生み出されるわけでもない。
以前モノクロ画の個展をやったときも、「色塗れば?」とか言ってくださる人がけっこういたのだけど、考えただけでげっそりしちゃって、(画集をその場で売っていたので)「一冊買って、自分で塗れば?」とか思っちゃいました。

そんな感じでしたけど、今回、また気を取り直して、映像作品をつくるために色付けを始めてます。
いまの私のスタイルは、モノクロの原画をトナーコピーしてかなり濃いめに打ち出したものに、色鉛筆で少しずつ色を重ねてゆくというもの。
完成した絵をフライヤやポストカードにするとき、ブログに上げるときなどは、スキャンした画像をフォトショップで、自分が出したいと思う色合いや強さが出るまでいろいろ調整を重ねます。

色付けするのをなぜトナーコピーにこだわるかというと、原画はモノクロのままとっておきたいというのもあるし、トナーコピーで濃いめに打ち出すと昔の銅版画のような細かい粒子が浮き出てきて趣のある画風になること、それから、なんといってもあのトナーのラインが鉛筆にない強さ、鋭さがあっていい。
擦れないし、滲まないし。

ただ、ひとつ欠点は、それだとコピー用紙に色をつけるしかないんです。
それがちょっとね。
ほんとはやっぱり、スケッチブックみたいな硬い厚い紙に描いたほうがいいに決まってる。
絵具じゃなくて色鉛筆っていうのもそれが理由。
コピー用紙に絵具で描いたらビロビロで目も当てられなくなりますからね。
色鉛筆のほうがあとから修正がきくっていうのもあるけど。
ただ、手間はとんでもなくかかります。

絵を描くたびに思うのは、絵というものの本質的にもってるモータリティというか、取り換えのきかなさ、これはなんといっても絵がいちばん。
物理的にももろいしね。
文章や音楽のように質を落とさずに際限なく再現するのは難しい。
絵もね、はじめからソフトとかで描いたものなら、データさえとっとけばいくらでも再生産できるけど。

子供のころのトラウマもいまだにあるな。
このブログのどこかでも書いたかもしれないけど。
子供のころの絵って、どんなにがんばって描いても次から次へ、なんとかコンクールとかに召し上げられてしまって、手元に何も残らなかった。
あの虚しさっていったらないよね。
変な賞状なんかくれてもしょうがないって。

まあ、それはいいとしてね。
描き終えたら終えたでまた、原画をちゃんと管理しておかなきゃならないし。
いろいろめんどくさい。
ちょっと、生身の人間みたいなとこがありますね。
すでに何枚か、原画の行方がわからないやつがあるし。
めげずにつづけてゆかないとだめなんだけど。

つくりつづけるための力を、走りつづけるための力をどこから得るか、というのはずーっと課題。
何をもって自分の心を養ってゆくか。
アンネ・フランクの日記の一節を思い出す。
人は子供のころから、いかに周りに育ててもらうかだけじゃなくて、いかに自分を自分で育ててゆくかってことを考えなきゃいけない、って書いてたっけ。
まだ15とかそこらの女の子がそういうことを書き残してるんですよ。
これは考えさせられるよね。

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