2018年09月08日

人をつなぐ魔法。~14区のアマチュア・ミュージック・シーンのこと~




夏のあいだ、モンパルナスのレストランでバイトしていたのだけれど、それがきっかけで、思いがけず、14区の音楽シーンとのゆるやかなつながりを回復することになった。
バイトあがりは夜11時くらい。自転車を飛ばして途中、以前何度か来たことのある、音楽ライヴをやってるバーの前を通る。
ある晩いつものようにその店の前を通ると、セッションの晩で、ふくよかな感じの女の人がピアノに合わせて歌っていた。
ゆたかな声で、メロディもいい曲。
一瞬のことで、いったん走り過ぎたが、耳に引っかかって引き返してきて、店先でしばし聴き入った。
その声が自分の肋骨あたりに共鳴して、ぶるぶる震える感じがした。

店の人が出てきて、「君のこと覚えてるよ。前にもうちの店に来たよね」と言ってくれたので、
自転車をその辺の街灯のところにとめて、店に入った。
パナシェを頼んで、カウンターで耳を傾けた。
その女の人は2曲ほどで終わってしまい、次々色んな人が立って歌う。
みんなうまかった。
ふつうのおじさんおばさんなのだけど、ジャズのスタンダードとか、堂々たる歌いっぷり。
なんかそういう血が流れてる感じがする。
日本の飲み屋で、お客さんがステージに立って演歌を歌ってるようなノリだな、たぶん。
私、あんまりそういうスタンダードを知らなくて、こういう店ではじめて知った曲がいくつもある。
ラ・ボエム、Just the Two of Us, Lullaby of Birdland などなど。

先ほど通りがかったときに歌っていた彼女の歌があまりにも印象的だったので、思わず話しかけて、さっきのあれ何という曲ですか、と聞くと、親切に教えてくれた。
それがこの曲。いい曲だわー。
あ、もちろんご本人じゃないですよ。カバーね。
でもその人はやはりプロで、音楽学校で声楽を教えてるそう。
アメリカ人だけど10年くらいフランスに住んでるそうで、説明も仏語だった。



それ以来、セッションの晩にはバイト帰りに寄ってパナシェを傾けながら、カウンターでライヴを聞くようになった。
歌ってる人もそうだけど、ピアノの伴奏を眺めているのがとくに好き。
色んな弾き方をする人がいて、勉強になる。
人の伴奏ができるって、尊敬する。

それだけでも充分楽しかったのだけど、そのうち周りのお客さんやミュージシャンが次々話しかけてきてくれて、何だか知らないうちに知り合いが一気に増えた。
あちこちの別の店を紹介されたり、連れて行かれたり。
こないだのオープンマイクで歌ってたでしょ、という人もいて、覚えててくれたようだ。

そうそう、この夏、近所のコミュニティカフェでやってるオープンマイクにも再挑戦したのだった。
初挑戦は一年ほど前。
そのときは、みんな知ってる曲をやったほうがいいかなと思って、アナ雪の仏語バージョンをやった。
だが、そのときは人がいっぱいのすし詰め状態で緊張したうえ、マイクの支柱が右半分の視界をすっかり塞ぎ、鍵盤が見えない状態で弾く感じになって恐怖だった。
ピアノ弾き語りではよくある問題なのだけど。。
それでもみんなあたたかく受け入れてくれたけどね。

それでようやく心をたて直し、二度目の挑戦。
二度目だからやりたい曲をやっていいかなと思って、日本のロックバンドの曲です、と説明してX Japan のナンバーを。
長年の課題だったSilent Jealousy という曲。
あと、Just the Two of Us もやったっけ。
みんな中ソロで手拍子打ってくれたり、いっしょに歌ってくれたり、フレンドリー。
なんか曲やると、覚えてもらえるのでいいですね。
MC兼ピアノ伴奏の進行役の人を始め、一晩にして、その場にいる全員と仲よくなった。
こんなこと、ふつうに店で飲んでるだけではありえない。
やっぱり音楽の力ってすごいわ。魔法みたい。

フランスに住んでもフランス人の友だちって、そんなにできるものじゃない。
それが軽くコンプレックスだったけど、正直、そこまでの余裕がなかった。
学期中はとにかく時間に追われ、毎日の授業や課題や色んな手続きなんかに追われて。
自由な時間が少しでもあれば、家でゆっくり休みたい…。
とても、ネットワークをつくるためにわざわざ何かするほどのエネルギーなんて残らなかった。

でも、人とのつながりって、つくろうと思ってつくらなくても、好きなことやってるとおまけのように自然とついてくるものらしい。
ありがたいことだわ。
だからやっぱり、なかなか余裕ないと思っても、自分の好きなことする時間はできるだけとるようにすることね。

次の記事で、このところの弾き語りレパートリーの動画をまとめています。



















  

Posted by 中島迂生 at 20:39Comments(0)

2018年09月07日

政治とスキャンダルと。~2017大統領選を振り返る~


先生方とお話ししていたときに、マクロンとか、スキャンダルは問題にならないの?
って聞かれたことがありました。
私、このときだけはちょっと、一瞬ポカンとしてしまった。
マクロンの名とスキャンダルというコトバが結びつかなくて。
え、彼の何がスキャンダル? なんか新しい話題があったっけ?…
実はいまでもあまりぴんと来ない。

奥さんのブリジットとのなれそめが、もとい生徒と高校教師の関係だったっていうのが?
ブリジットが当時結婚して子供もいたっていうのが?
あー、まぁ、そうかー。
でも、大方のフランス人にとって、あれはむしろ美談でしかないよね。
っていうか、私もてっきりそう思っていたのだけど… あれ、違ったの?

だって、考えてもみてくださいな。
高校生のときの恋の相手と「ぜったい結婚する!」と宣言して、
色んな障害を乗り越えてほんとに結婚したばかりか、
なんと今でもいっしょにいるのですよ。
すごいよね、よく飽きないなー。私にはとても、真似できないわ。
いや、これは皮肉ではありません! 褒めてるのです!!
これが<青い麦>みたいな一時的な関係で終わっていたら、よくある話ですけど。
ここまで来たらほんとに、見上げたものです。

そしてまた、大統領選に、それをうまく活用しましたよね。
演説の場には、必ず二人で現れて、仲のよさをアピールしてね。
おかげで中高年層の女性から圧倒的な支持を得て、大統領になれたのだものね。
あ、いや、それだけが要因ではなかったけれどね。
政治的な中庸路線とか、適切な移民政策とか、色々ありましたけど。
でもとにかく、あれは話題性であり格好のトピックではありこそすれ、
決してスキャンダルとは思われてなかったのではないかな。

ただ、そうやってプライベートを売りにしてしまったから、
いろいろきつい部分はあるだろうな、とは思います。
任期中に別れたりしたら支持率も下がるだろうから、
うっかり喧嘩もできなさそう。そのへんは大変だろうな…。

ともあれ、2017年の大統領選で、誰もが最大のスキャンダルとして思い出すのは、
共和党のフランソワ・フィヨンが身内を不正雇用して公金を流していた問題であろう。
あと、国民戦線のマリーヌ・ルペンが架空雇用で欧州議会に告発されたやつとか。
うーん、やっぱり国民性として、お金のことには手厳しいけど(税金ですからね)、
恋愛についてはわりと寛容というか、気にしないというか…
なんか、個人の自由だと思ってる感じかな。

というか、マクロンさん、ふつうに結婚しているというだけですでに、
私の中ではけっこう保守的なイメージなのですがね。
だって、オランドさんは子供4人くらいいるけど事実婚で、結婚してないし、
サルコジは任期中に離婚したし。
大統領からしてそんな感じなので、この国の人たち、
みんな自分の欲望に忠実で、けっこう自由にやってるイメージです。

ソルボンヌの先生のひとりなんか、「いま、ボクは4度目の結婚だよ」って普通に言ってたし。
けっこうなお年を召して、つるっぱげだし、特にそれほどモテそうな感じはしなかったけれどな。
文学の先生で、講義は分かりやすかったですけどね。
「毎回、生徒と結婚してるよ」と言っていた。
「よくそんなにモテるなー」とは思ったが、特にそれが問題だと思わなかった私って、
あれ、やっぱり感覚ずれてる?

ともあれ、大統領選、楽しかったなー。
私が「楽しかった」っていうのも変ですけど、あの期間の白熱した空気には、
なにかほんとに独特なものがありました。
毎日のように、次から次へと新しい展開があって。
なんというか、月9のドラマが、リアルで毎日展開していく感じ。
それくらいの密度の濃さと、波乱万丈っぷりでした。

フランソワ・フィヨンなんか、最有力候補と目されていたのに、
次々スキャンダルが明るみに出て、あっというまに支持率が急落してしまって。
それでも、開き直って「行くところまで(=ジュスコブ)行く!」と宣言して、
たちまち「ジュスコブディスト」っていう新語が生まれたりして、面白かったな。
彼こそ「スキャンダルのデパート」っていう感じで、ちょっとかわいそうなくらいだった。
あれは、ぜったい、彼が最有力候補だったからあれだけ突っ込まれたんだと思うわ。
ほかの候補者だって、探せば同じくらいのネタはあったはず。

当時、私は語学学校で政治の授業をとっていて、
毎週、先生がその週に起こったことをこまかく解説してくれました。
文法の授業でも、毎日のように話題になっていたし。
でもやっぱり、政治の授業がいちばん面白かったな。いちばん楽しみだった。
政治の授業がいちばん楽しみなんて、そんな日がこの私に来ようとは。
人生、ほんとに分かりません。

でも、フランス人が政治好きなの、よく分かった!
だってほんとに面白いのだもの。
つまりは人間ドラマなのです。
投票日が近づいてくると、スーパーで主婦たちが野菜買いながら
「誰に投票する?」って話題でもちきりなのです。
道を歩いてても、みんな選挙の話してるし。
(ついでに、街じゅうのマリーヌ・ルペンのポスターには、もれなくヒトラーの口髭が
描き加えられているし…)

やっぱり思うのはね。
国の党首を選ぶのが、直接民主制って正しい!!
だからあれほどまでに盛り上がるのですよ。
私、子どものころ、日本では首相を選ぶのが直接じゃないって習って、
「はあ?!」って感じで、相当な違和感でしたもの。

二回めの決選投票では、ルペンとマクロンの一騎打ちを、
フランス中が息を呑んで見守っていた。
あのときほど、投票権がほしいと思ったことはありません。
極右のルペンが政権を執ったら、我々移民なんか真っ先に追い出されますもの。
投票日の前日あたりには、シャンゼリゼで爆発騒ぎなんかもあって、
さいごまで波乱つづきでした。

それでも、ルペンがああいう父親のもとに生まれて色々苦労してきたのも知ってるし、
国民戦線が、色んな社会的なもやもやの捌け口みたいになってる部分もあって、
彼女がそれをひとりで受けて立っているようなところがあるのも感じている。
だからやっぱり、100%キライにはなれなかったな。

そんなこんなで、あの頃、フランスの政界については一時的に、
ちょっぴり詳しくなりました。いまはもう忘れちゃったけどなー。
映画学科に入ったら、だれも政治の話なんかしないんだもの。
あの熱狂、ちょっと懐かしい。…



















  

Posted by 中島迂生 at 00:32Comments(0)

2018年09月02日

夏のおわりに。~サヨナラから始まるコト~




今週末も、ちょっとだけ高校演劇を見に。
ひとつ、今年はどんなのやるのか気になっていたところがあって。
以前、私の生徒さんのひとりがそこの高校だったのだけれど、
文化祭のクラスの出し物で<リア王>、しかも英語劇。すごくないですか?
彼女はしかもヒロイン役、三女のコーネリア。かわいかったなー。

今回は、先週末とあわせて6,7本しか見てないけど、設定として
舞台が学校で、登場人物も制服着た高校生、っていうのがとても多かった。
まぁ、分かりますけどね。
みんな忙しいなか、稽古には時間がかかるし、大道具も作らなくちゃいけないし、
そのうえ衣裳までとなったら大変です。

でも、何本もそういうのが続くと、見てる側としては、けっこう、ストーリーが頭の中でごっちゃになる。
ちょっと思っちゃう…
君ら、リアルで毎日高校生やってるのだから、劇の中でまでやること、なくない?
自分でちょっと退屈しない?
劇の中くらい、日常からかけ離れた、全然別の世界を演じてみたくない?…

今回見たものも、そんなひとつで、舞台は高校。
でも、なんか、よかった。
部活<ダジャレ倶楽部>でほそぼそとお笑いをやってる彼ら。
廃部の危機にさらされ、それまでたらーんとしていたところ奮起してお笑い甲子園を目指すものの、
結果を出せず、結局部活はなくなってしまう。
けれど、この経験を糧に、卒業後もめいめいがそれぞれの立場でお笑いを続けることに。
後輩のがんばりで、2年後、部活も復活を遂げる…っていう。

なんかこの、「挫折からの復活」っていう感じがよかった。
演劇部のオリジナルらしい脚本もよかったし、部長役の男の子の、毎回スベるんだけど
めげずにダジャレのネタを考えつづけてるのが愛に溢れててよいw
さいごにテーマソングって感じに流れるのが、SUPER BUTTER DOG の<サヨナラCOLOR>。

脚本全体が、この曲にインスパイアされたのかなってストーリー構成で、さいごのこれがよく効いてる。
いい曲だなー。
なんとなく知ってはいたけど、なんとなく斉藤和義あたりの曲かと思っていたよ。失礼ー!
「卒業のとき先生が歌ってくれた」みたいなコメがけっこう多い。
卒業ソングだったんかい。…まぁ、歌詞を聞くと、たしかに。

演劇祭のパンフには、過去の演目リストがずーっと載ってるのです。
あれはいいよね。歴史を振り返れて。
で、今回は見れなかったけど、あとからリストを眺めていて気がついたこと。

2008年(十年前だw)に見た作品のなかで、関勝一さんという方のがありました。
顧問の先生の脚本というので、すごいなーと印象に残っていた。
色々ポジティヴに頑張ってるお父さんの話。
年頃の息子や成人した娘とコミュニケーションを図ろうと悪戦苦闘したり、
ときには空回りしつつもめげない姿が超リアルで、ご自身がモデルなのか?w…
脚本は重厚で奥行きがあり、かつ細部もきっちり作りこまれて、コミカルで。
これはアマチュアの域を超えてる、と。

気になって少し調べてみると、当時はD一高、現在はI一高の演劇部顧問で国語の先生で、
かつご自身の劇団活動もされているようです。
色んな作品を、ご自身が顧問をつとめる高校だけでなく、ほかの色んな高校が上演してる。
高校演劇界では有名みたいです。そういう存在はほかにもいるっぽい。
この世界も色んな伝統と独自の宇宙があって、奥が深そうです。

なんか、久しぶりに劇団ブログらしい記事書いていますw
でも、私の中では、文筆作品、舞台、映画はほぼ同じもの。
手段がちょっと異なるだけで、表現することの本質は同じと思っています。
だから大学なんかで文学科、演劇科、映画科って分かれてるの、なんか違和感あるんだよな。

マルグリット・デュラスは、その長いキャリアのなかでものも書いて、舞台も手掛けて、映画もつくってる。
それはごく自然なことで、私もそういう人になりたいのです。
あ、必ずしもデュラスみたいな映画をつくりたいってことじゃないけど。
そんな感じの仕事の仕方をしたい。

というわけで、
さいきん、中島迂生ライブラリーを少し整理したついでに、
夏の終わりのいまの気分に、ちょっとシンクロするかもしれない小篇をふたつ。
シュザンヌ
潮騒のスケルツォ






















  

Posted by 中島迂生 at 18:32Comments(0)演劇一般