2018年01月14日

身軽に生きていく


  

写真は今回処分予定のモノたちの一部。

年末の休みを利用して、いらないものを少し片付けました。
ひとたび学期が始まると、それどころではなくなるから、今のうち。
こちらの暮らしのほうが、モノの循環のサイクルは早い。
服も靴も本も・・・。
量が少ないから、頻繁に着てすぐにいたむし、靴は磨り減るし、本は読み飽きる。
着ない服も、着ないという理由でもういいやと思う。

以前はあまり好きでなくなったり、飽きたりしたものも、使える限り捨てるのには罪悪感があった。
けれど、さいきんそれもなくなってきた。
とくにこの冬くらいから。
「私、これだけ大変な思いをしたのだから、もう、いいよね!」みたいな。
学校がものすごく大変だったのでね・・・。
ストレスがたまるといろいろ捨てたくなるみたい。
モノより、この部屋の主である私の気持ちのほうが大切!!

また、こちらでは、いらない服や靴をいつでも入れられる古着ポストみたいのがあったり、古本屋もあるし、掲示板もある。
だいたい、なんでも表に出しておけば、誰かしらが持っていってくれます。
ムダになることはない。
だから捨てるハードルは日本より低いと思う。

ここまで狭い部屋で、モノを絞って暮らしていく、というのはなかなか貴重な経験だと思います。
家が広いとどうしても、油断してモノが滞りがちなのでね。
年末にアップしたお部屋シリーズの3記事は、写真を撮るところから記事のアップまで一日で終了。私的には快挙です。
それももともとモノが少なくてとくに片付けの必要もないので、そのままパパッと撮れたことが大きい。
常に循環している、というのは健全なこと。
すぐに動けるよう、身の回りはいつもすっきりして身軽でありたい。





  

Posted by 中島迂生 at 09:34Comments(0)巴里日記2018-1月

2018年01月14日

あけまして水道工事。


 

年明けは、朝の9時前に、水道管取り付け工事の人にガンガンドアをたたかれて始まりました。
朝の4時までレポートをやって夢の中だった私は、寝ぼけて、それも夢のつづきかと・・・。
そりゃ、そのうち水道管の工事に来るとは聞いていましたよ。・・・10月に。
いつになっても来ないから、もう、来ないのかと思ってた・・・ゴドーかっ!!

工事の人はとても礼儀正しく、テキパキと仕事していきましたが、こちらのアパルトマンはすべて室内にむき出しの状態で管を通しています。
で、バーナーをもってきてその場で銅管を半田付けするものだから、部屋中に煤が飛び散って大変なことに。
きのう掃除したんだけどな・・・。
白い家具に黒い煤だから目立ちます。
しかも煤って粒子が細かいから、そっと払おうとしても、木地や布目に入り込んでしまってやっかい。
カーテン、まだ洗ってなくてよかった。。
天井近くには、半田付けでところどころ黒くこげたピカピカの銅管がどーんと圧倒的な違和感。これ、また白ペンキで塗らないと・・・。
後日、梯子をかけて上がってみると、もとからついてる管も汚れているし、シャワーの天井部分も、キッチンの上部も・・・見てしまったら掃除しないわけにいきません。
それでまた一日がかり。
あぁ、ペンキがなくなったからまた買いに行かなきゃ・・・。

なんだかこの部屋に住んで以来、こんなことの繰り返しです。
ある日突然ひと騒動もちあがって、格闘するうちに結果的にはその周辺ぜんぶキレイになって、全体としてはグレードアップするのだけど、・・・いかんせん、たいへん・・・。
しかもどのタイミングで降りかかってくるかわからない。
つねに「一難去ってまた一難」という感じ。
疲れる・・・。



  

Posted by 中島迂生 at 09:33Comments(0)巴里日記2018-1月

2018年01月14日

おばあさまの部屋の片付け




写真はグラン・パレに出展時のMichiさんの作品。

Michiさんはパリ在住歴も長いガラス作家さん。
ガラス小物がずらりと並び、なぜかたくさんの彫刻や、ピアノや、年代物のジュークボックスなども同居するふしぎな雰囲気のアトリエに、時々遊びにお邪魔します。
年末は、このアトリエのあるアパルトマンの、大家さんの奥様であるおばあさまの部屋だったところの片付けにお手伝い。
なかなか貴重な体験でした。
こんなことも、自分のうちがすでに大体片付いているからこそできることで、ありがたい。
Michiさんが運び出す不用品のダンボールを私が階下へ運び、そのあと二人で部屋の大掃除。
「気に入ったものがあれば、持っていっていいよー」と言ってくださるのですが、とくにほしいと感じるものもなく。
たぶん、以前だったらもっと興味津々だったと思うのです。
ブロカンテっぽいものもけっこう好きだったし。
でも、これだけ狭い部屋に住んで、どんどんモノを絞り込んでみると、物の見方がずいぶん変わったみたい。
何しろ、ひとつでもモノがあるとその分だけ自分の空間が侵食されるわけなので、あらたにモノを入れることに対してものすごくハードルが高くなった。
大抵のものは、もはや、あることよりも、ないことの方がありがたい。
文字通り、モノより空間のほうが貴重なのだ。

それにしても、あのモノの量、あのホコリとカビ、すんごかったー!!!
別にとっておくのはいいけど、とっておくならキレイにしておこうよ、大家さん!!
置いとくだけなら世話はない、と勘違いしている人が多すぎる、と思う。
置いとくだけでも、その時間の分だけホコリも積もるし、カビも生えるのだ。
そういうの放置しておくのって、犯罪に近い。
あぁ、でも、人のこと言えないなぁ。
つくばの自分の家でも、物置に、おもに端材の木材などをずっと放置していて、こないだやっと片付けてきたのだった。
(存在じたいを忘れていた。)
子供のころから木工や彫刻や日曜大工的なことをやっていたので、それが集積してすごい量になっていた。
木材って、捨てられなかったのです。
木の命をいただいていると思うと、どうもね。
けど、もともと湿気がひどくてカビやすいコンディションの場所だったので、それはそれはひどいことになっていました。
これはもう、こんな状態で放置していることのほうがよっぽど木に対して失礼だわと思って、一日かけてきれいさっぱり処分しました。
何がモノに対するふさわしい敬意といえるのか、難しいところ。

今回お手伝いした、おばあさまの部屋は、ひとたびガラクタを運び出してみると、床材なんか、実はこちらでの私のうちよりずっと新しくてキレイでした。
ただ、ずっとほったらかしだったので、ホコリとカビだらけ。
これってほんとに、部屋に対しても気の毒だったわ、とつくづく・・・。
せっせと磨いていると、「おー、キレイになったー!」とMichiさんが感激してくれました。
「掃除、うまい!」とも言われました。
掃除にうまい下手ってあったっけ?
あ、でも今の部屋で、掃除しづらい箇所を攻略するのにさんざん戦ってきたから・・・。
いや、別にそれが趣味ではないのですが、必要に迫られて目下の問題と格闘するうち、しぜんとステージが上がってきたみたい。
ひと段落したあと、アトリエでフォアグラと発泡ワインをごちそうになって、フランスらしい年の瀬となりました。。





  

Posted by 中島迂生 at 09:31Comments(0)巴里日記2017-12月