2018年08月26日

竜一点描 補遺その2: O先生語録


画像:O先生

この記事では、中島迂生が母校・竜ヶ崎一高を卒業時に書いた<竜一点描>の補遺メモをまとめています。

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O先生語録(<竜一点描>未収録分)

生徒に課題を出しておいて、自分はきのうの日曜、
家族で食事しておもちゃ屋へ行った話なんかを始めたりする。
「…楽しかったなぁ。あ、俺の話なんか聞いてるなよ。聞いてると全然進まないぞ。
俺はお喋りだからな。喋りだしたら止まんねえんだ」

(↑個人的には、これいちばん傑作w)

奥さんと喧嘩した話、何日口をきかなかったとかいう話。
雑談の8割くらいを占める、愛娘たちのこと。
毎週セーラームーンを見るのにつきあわされてるという話。
幼稚園に行きたくないと言ってぐずった日のこと。
(もうすっかり、妙齢の娘さんのはず!)

泥酔して電車の中でひと騒動起こした大学生の頃の話。
自分が生徒として竜一高に通っていた頃の、木造校舎のこと。
同級生だった同僚のこと。
「あいつとは腐れ縁だな」

「あのね、公務員ってどんな仕事だか分かる?
公務員っていうのは、人に奉仕するつとめなんだよ。
人に奉仕するつとめ…」
(だからといって、PTAのときの駐車場の整備までやってるのを見て、私、けっこうショックでしたよ。
先生ってそこまで求められるのか。。)

漢詩の世界。中国大陸をゆく列車の最後尾、窓から眺める夕陽の大きさ。
ゴビ砂漠の夜を彩る、人を圧倒するような天の川。

休みが多いのに業を煮やして、説教を始める。
「みんな、つらいのは自分だけだと思ってないか。言っとくけど、そんなの単なる甘えだぞ。
受験生を抱えているみんなの家族のほうが、よっぽど大変だと思えよ。
みんな強制されて勉強してるんじゃない、好きで受験生やってるんだからな。
人に甘えるのはよせよ。
こないだの金曜なんかひどかったよ。クラスの三分の一くらいいなかったんじゃないか。
あんまり休むのは先生に対して失礼だぞ。
こっちだってあんまり席がガラガラじゃやる気なくなるからな…」

台風が過ぎた日。
「今日は風が強いですねえ。あ、風が吹くのは何でだか知ってる?
風が吹くのはね、ネコバスが通るからなんですよ。あれはいいですね、感動しますね。
<となりのトトロ>、俺10回くらい見たよ。娘につきあわされたんだけど。
風景なんかもほんとうに美しくて、クライマックスのところでは、何だ…妹のメイを、ネコバスに乗せて送り届けてね。憎いですね。
みんな一回くらいは見ただろ、あれ? 見てない人は、図書館でもどこでもいいからビデオ借りて見ろよ。
それくらいの心のゆとりは持ってなくちゃだめだぞ」
で、次の時間、別の先生が入ってきて、黒板に宮崎駿…とか書きなぐってあるのを見て、
「何の話からこうなったの?」
とフシギそうな顔をしている。…

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トトロが出てきたついでに少し加えると、この5月くらいかな。
いま行ってるパリ8大の経済の先生が、日本のアニメについても研究してるというので、つきあいで、あるシンポジウムに行ったのですね。
(そういう人、めっちゃ多い!!)
そしたら、その先生の発表で、「トトロの木がぐんぐん生長して大きくなっていくようすには、原爆のキノコ雲のイメージが投影されている」っていう発言があって。
えーっ?! って、けっこう、びっくり。
だって、トトロの木は生命の象徴だし、片やキノコ雲なんか破壊のイメージだし、むしろ真逆じゃない?
で、私、そう意見したのです。
その先生、とても穏やかで思慮深い人なのですがねー、でもその考えは変わらないようでした。
方向性としては真逆だけど、潜在意識的にそういうイメージがある、と思ってるみたい。
うむ。…世の中、色んな考え方があるもんだ。

むしろ<もののけ姫>なんかには、放射能汚染のイメージを色濃く感じます。
それは多くの人が感じるところだと思うし、話の趣旨にも合ってると思うのですがね。…




















  

Posted by 中島迂生 at 16:43Comments(0)竜一点描

2018年08月26日

竜一点描 補遺その1: S先生語録


画像:O先生

この記事では、中島迂生が母校・竜ヶ崎一高を卒業時に書いた<竜一点描>の補遺メモをまとめています。


高校関係、ひと段落したつもりでいたのですが、もうちょっと。

<竜一点描>をタイプするために原稿を探していたら、
ネタのメモがいろいろ出てきました。
収録候補だったけど、バランスの関係で見送ったもの。
なかでも圧倒的に多いのは、日本史のS先生ネタ。
雑談多かったし、しかも毎回、けっこうちゃんとオチがあるし。
ただ、ぜんぶ入れてるとほかの要素を食ってしまって、もはや<竜一点描>ではなく<S先生語録>になってしまうのでw、一部しか載せられなかったのです。
でも、このまましまいこんでおくにはあまりにも面白いので、こちらに。

S先生には、卒業後遊びにいったとき、一度だけお会いしました。
<竜一点描>をとても喜んでくださっていて、
「○○さんみたいな人がいるんだったら、僕ももうちょっと頑張って授業やろうかと思ったよ」まで言われた。
そこまで言われてしまうと、もう返すコトバがありません…。
私はただ書いただけで、ネタはぜんぶ、先生ご自身の言葉だったのに。
というかむしろ、勝手に書くな!と怒られる、という状況だってありえたのに。

「もうちょっと頑張って授業やろうかと…」って。
やっぱり竜一高の先生方って、みんな謙虚だな。
その言い方では、授業頑張っていなかったみたいじゃないですかw
じっさいは、充分いい授業をしてくださっていたのに。
みんな、目指す水準がよくよく高いんだな。
S先生、お元気でしょうかね。…

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S先生語録(<竜一点描>未収録分)

模試の解説をしながら。
「そういえば、A組で80点なんか取ったのがいたなぁ。そいつ日本史じゃないんだわ。
やっぱりだめだぞなぁ、日本史いらない奴は80点なんか取っちゃだめだよ。
やってる人がかわいそうだっぺ。
そういうもんだど…悲しんでる人がいるのに喜んじゃだめだっぺ。
喜ぶんなら悲しんでる人がいないところで喜べよ」

プリントを配りながら…
「ゆうべはよぅ、…っていうところへ行ってきたんだ。碁をやってきたんだわ。
そしたら、そこに知ってる人が来ててよう、本当に喜んで迎えてくれたんだわ。
ああ、先生、どうぞどうぞ、ひと勝負やりましょうってなぁ。
その人、獣医さんでよう、娘夫婦も獣医なんだわな。
ゆうべは僕、三連勝しちゃったんだよなぁ。
しまいの方になったらその人よ、真っ赤な顔してよ、先生どうぞ一回くらい負けてくださいってよ。
負けてくださいも何も、今さらどうしようもないっぺなぁ。
はじめのうちなら何とか負けられるかもしんねえけど、ここまできて負けるって難しいど。
野球だっておんなじだっぺ、九回の裏まできて10対1で負けてくださいったってそりゃ無理だって。
1対0だったら何とかなるかもしれねえけどよ。
で、結局三回とも勝っちゃったんだけど、これ負けた人はうれしくないぞなぁ。
勝負ごとってそうだど、勝った人はうれしいけど、負けた人はうれしくないって。
だからできれば負けた方がいいんだよなぁ、そしたら相手の人を喜ばせてやれるっぺ。
僕、ゆうべうちに帰って後悔したよ、何も三回も勝つことなかったぞなぁ。
はい、じゃ7と8のプリント出してみろ。…」

「みんな、将軍の仕事って分かっか?
将軍の仕事ってな、子供をつくることだからな」

歴代の内閣の話から。
「そういえば、中曽根っているだろ、あいつ化けもんみてえだわな。
よくまだ生きってぺなぁ。
あいつのことを考えるたびに、僕は悔しくてよ。
あいつ生きてんのに、おやじ死んじゃったんだわなぁ。
あんな悪いことした奴が生きてて、うちのおやじ悪いことしてないのに何で死んじゃったのかなぁ。」

片岡蔵相の失言から、金融恐慌が始まって…
「あ、そう言や、失言て何のことだか分かっか、え?
失言てえのは、本当のこと言ったってことなんだよ。
あれだど、政治家ってのは、ぜったい本当のこと言わないかんな。
ありとあらゆること喋るけど、本音だけは言わねえんだ。
変な国だよなぁ、本当のこと言うと失言なんてよ」

日本が国連を脱退したときの票決について。
「42対1って、1が日本だど。
ふん、棄権1…これどこだか分かっか。これタイなんだよ。
タイはいいど、何となくバカにされてるみたいだけど、
タイはいいよ、みんなおだやかな人で、微笑みの国って言われてるんだ。
アジアで独立を保ったのは、日本とタイだけなんだ。
何でそんな強くもないのにタイが独立保てたか分かっか?
争いごとを好まねえからなんだよ。
そういうもんだど、泥棒が来たら、はいどうぞってあげちゃえば、何も争いになんないだろ。
何をこのって手向かうから事がややこしくなるんだ。
インドだってアフリカだって、手向かったから潰されちゃったんだろ。
タイは手向かわねえんだよ。
また脱退に賛成でもしたら日本から恨まれっぺと思って棄権したんだな。
なかなかうまいんだよ、タイは」

バングラデシュ人の友だちのこと、せがれが俺の話はするなと言っているという話。
若き日のデートのこと、関東大震災で僕のお婆ちゃんの人生が変わったという話。…

「やっぱりなぁ、ふつうがいいど。何でも。うん。何だってそうだよ。
結婚相手だって、適当なところにしといたほうがいいんだわ。
あんまり好きな人と結婚すると疲れっから」

「中国残留孤児の問題も、あれなかなかむずかしい問題なんだよなぁ。
ほんとのこと言うとよ。
だって、日本語わかんめ、生活習慣も違うし、仕事も見つけられるかわかんめよ。
あの人らは永住帰国したい言ってるけどよ、いや難しいってこれ。
身内のほうも色々あるからよ。
例えば、私70歳とします、いや、75歳のほうがいいかな、私75歳です、はい。
25歳のとき中国へ行きました。で、向こうで結婚して子供も生まれました。
ところがそのあと戦争になって従軍しました。
そのあいだに奥さんは死んじゃって、子供もどうなったか分かりません。
で、日本に帰って、また結婚して子供が生まれました。子供に孫もできました。
いま、私おじいちゃんです。
で、その頃になってよ、テレビかなんかで行方不明だった子供が出てきて、
肉親探してますなんて言われたらどうする?
これどうしようもねえってなぁ。
お金があればいいんだよ、よろこんで名乗り出て、いっしょに暮らしてやれっぺ。
ところが金ないんだよ。で、子供の世話になって暮らしてるだろ。
それにこんなこと家族に知れたら、あらおじいちゃんそんなことしてたのって、すごい騒ぎになるぞなぁ。
これどうしようもねえんだよなぁ、ひたすら黙ってるしかよ。
心の中ですまない、許してくれって思ってるんだろうよなぁ、きっとよ。
そういうような人がけっこういるぞなぁ。
むずかしいんだよ、うん。
たけど向こうの人にしてみればよ、まわりの人から、あんた日本人なんだろ、
何で日本に帰らないのかって言われてっぺなぁ。
それにお金の価値がまるっきり違うからよ、日本と中国じゃ。
でも、今でも似たようなことやってっぺなぁ。
今、フィリピンじゃお父さんが日本人だって子供たくさんいるよ、うん。
ところが名乗り出ないんだよな、これが。だって大変なことになっぺ、そんなことしたらよ。
何も言えないんだわ。
やっぱり、若いときに過ちを犯さないようにすべきだよ。ほんとのこと言うと。
ちょっとしたことで、人生めちゃくちゃになる場合があっから。ほんと。」

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「日本史いらない奴は日本史で80点なんか取るな」って、
日本史の先生が言っちゃうかw

「失言とはほんとのことを言ったということ」って、けだし名言。
これも<竜一点描>に入れるべきだったな。

それと、2018年現在、中曽根元首相がまだご存命(実に100歳!)
というのもほんとにびっくりです。。
当時、誰が想像しえただろうか。
あ、個人的には私、とくに中曽根さんに恨みはありませんけどね。

S先生のことでもうひとつ印象的だったのは。
当時も先生は、めっちゃお若いというわけではなかったのです。
当時、それくらいの世代の大人たちの間では、例えば発展途上国の人々に対する(自分では無意識の)差別意識がふとした発言に出てしまうなんてことは、まったくもって珍しくなかった。ふつうだった。
ところが、S先生の言動には、そういうところがほんとになかったのです。
いつも話聞いていて、感じていたのですがね。
それは言動に気をつけているというより、先生の意識の中にそもそも、そんな差別みたいなものがほんとにないんだな、という感じだった。
珍しいねー、と思っていたんです。
そしていま、先生のSNSなんかにお邪魔してみると、およそあらゆる国の人々と楽しそうに交友を結んでいる、めちゃめちゃコスモポリタンなお姿が。
なるほどねー、と、当時の先生を思い出して思ったことでした。





















  

Posted by 中島迂生 at 16:30Comments(0)竜一点描

2018年08月17日

竜一点描 あとがき


画像:O先生

この記事は、前記事の小品<竜一点描>についての覚書です。

これも、前から、このブログにアップしようとずっと思っていたのです。
竜一高という高校での、日々のちょっとした思い出や、先生たちの言葉なんかについてまとめたもの。
もっと昔の作品や、大学の卒論などもすでにアップしたのに、こちらは後回しになっていた。
今回この機会にやっと、中島迂生ライブラリーに加わりました。
当時は、「いまのこの気分をちょっとカプセルに閉じ込めておきたい」くらいの気持ちだった。
でも、カプセルは、しまいこんでおくばかりでなく、ときどき開けてみないとね。

この小品、読んだいろんな人から好評で、こんなに喜んでもらえるんだな…ってうれしかったものです。
でも、個人名を記さなかったから、数年もたてば、誰のことを書いたのか分からなくなってしまうだろう。
当時からそれは思っていて、でも仕方ない、それでもいいと思っていた。
そして、ほかの作品とちがって、完全に内輪ネタ。
読んでもらえるとしても、楽しんでもらえるとしても内輪だけ、と思っていた。

けど、これタイプしながら思い出したのだけど、大学生になってひとり暮らしを始めてから、同じところに住んでる子に、読んでもらったことがあった。
その子、関西の人で、私の高校のことなど何も知らなかったのに。
これを読んで、泣き出してしまった。
「自分の高校生活はただ勉強ばかりで、大切なことを忘れていた」って言っていた。
意外にも、けっこう普遍的に訴えるところがあったみたい。

今回タイプしてると、ここには書いてなかったさらにこまかいいろんなことが、どんどん思い出されてきた。
1年のときのクラスメートが立ち上げた演劇部。
<半神>があまりに大作で印象的だったから、その一部を載せたけれども、初演の<銀河鉄道の夜>もほんとによかったな。
漆黒の闇にかがやく蠍座の赤い星が、いまも目に浮かぶようです。

小論の練習で書いた幽玄論は、もっていった日、いつも見てもらっていたO先生がいなくて、代わりに教頭先生だったかな? 
「じゃ、私が見てあげましょう」といって、見てくれた。
ひととおり目を通して、返してくれて、「すばらしいですね」と一言。
そのあとの言葉を待っていると、…それで終わりみたいだった。(えっ。)

音楽のことを書いていたせいか、そのあと、「音楽っていいですよね」という話に。
「私はクラシックが好きで、よく聴きます。<マタイ受難曲>なんか私の宝物です」とおっしゃった。
そして、「じゃあ、がんばってくださいね」と、送り出された。
…ポカーン。…(それで、私、何の指導を受けたのかな?)

でも、考えてみると、<マタイ受難曲>が宝物って、素敵な感性ですよね。
「にじくん あいしてる。」に通じるところがあります。
私、やっぱり最高の指導を受けていたんだなって思います。今にして思うと。

とくに言う必要のないところでは、あえて言わない、というのもいい。
ともすると、我々、とくに問題なくても何かひとつくらい文句つけないと、自分が仕事してないような気持ちになったりしません?…

それにしても、なぜ今、あらためて高校のときのこと、思い出しているんだろうか?
っていうか、なぜ今まで思い出さなかったの?

転任されたりしてしまった先生たちについては、もう会えないなって諦めてた部分もあったけれど…
たぶん、あまりに居心地よかったからこそ、終わったらもう後ろを振り返っちゃいけないと思っていた。
現実の中へ、出ていかなきゃ。
前だけ向いて、生きていかなきゃって。
高校へ遊びにいくときもいつも、どこか過去に逃げてる、甘えてるという思いがあった。

でも、それからずっと走りつづけて、時が流れて、いま…あたし、けっこう頑張って今まで生きてきたよね?
このへんで大好きだった場所のことをもういちど、ちょっと振り返ってもいいよね?
それくらいのことは、許されるよね? っていう思いがあるのだと思う。

少し前、知り合いがFBに自分の高校のときのこと、書いてるのを目にしたこと。
きっかけは、たぶんそれ。
思うにそのあと、潜在意識が記憶の中を掘り進めていたのだろう。
それから数日して、竜一高のこと、思い出している自分に気づいた。…

それにたぶん、いま私はまた、新しい季節の戸口に差しかかっている。
18の頃みたいな、先の見えない苦しさはないとしても。
これからどういうスタンスでいくか、戦略を練るにあたって、自分の過去を見つめ直したい、
自分の出自のひとつ、よりどころのひとつとなってる場所のことを思い出したい、
というのがあるのだろうな。

ときには過去を振り返ってもいいと思うの。
いつだって、学ぶことはある。
上に立つ者がどういうふるまい方をしたら人が動くか、とか、けっこう永遠のテーマだし。
正直に見つめてみることで、現実の姿をつかめたりもするし。

そして、やっぱり。
こんなにも与えられてきたもの、してもらってきたこと…
こんなにも信頼されたこと、無条件に受け入れられたこと、気遣ってもらったこと…
そういうのは、どんなに時間がたっても、忘れない。
いつまでも、絶大な力になる。
どこへ行こうと、これからもずっと。




























  

Posted by 中島迂生 at 01:19Comments(2)竜一点描