2018年01月14日

おばあさまの部屋の片付け




写真はグラン・パレに出展時のMichiさんの作品。

Michiさんはパリ在住歴も長いガラス作家さん。
ガラス小物がずらりと並び、なぜかたくさんの彫刻や、ピアノや、年代物のジュークボックスなども同居するふしぎな雰囲気のアトリエに、時々遊びにお邪魔します。
年末は、このアトリエのあるアパルトマンの、大家さんの奥様であるおばあさまの部屋だったところの片付けにお手伝い。
なかなか貴重な体験でした。
こんなことも、自分のうちがすでに大体片付いているからこそできることで、ありがたい。
Michiさんが運び出す不用品のダンボールを私が階下へ運び、そのあと二人で部屋の大掃除。
「気に入ったものがあれば、持っていっていいよー」と言ってくださるのですが、とくにほしいと感じるものもなく。
たぶん、以前だったらもっと興味津々だったと思うのです。
ブロカンテっぽいものもけっこう好きだったし。
でも、これだけ狭い部屋に住んで、どんどんモノを絞り込んでみると、物の見方がずいぶん変わったみたい。
何しろ、ひとつでもモノがあるとその分だけ自分の空間が侵食されるわけなので、あらたにモノを入れることに対してものすごくハードルが高くなった。
大抵のものは、もはや、あることよりも、ないことの方がありがたい。
文字通り、モノより空間のほうが貴重なのだ。

それにしても、あのモノの量、あのホコリとカビ、すんごかったー!!!
別にとっておくのはいいけど、とっておくならキレイにしておこうよ、大家さん!!
置いとくだけなら世話はない、と勘違いしている人が多すぎる、と思う。
置いとくだけでも、その時間の分だけホコリも積もるし、カビも生えるのだ。
そういうの放置しておくのって、犯罪に近い。
あぁ、でも、人のこと言えないなぁ。
つくばの自分の家でも、物置に、おもに端材の木材などをずっと放置していて、こないだやっと片付けてきたのだった。
(存在じたいを忘れていた。)
子供のころから木工や彫刻や日曜大工的なことをやっていたので、それが集積してすごい量になっていた。
木材って、捨てられなかったのです。
木の命をいただいていると思うと、どうもね。
けど、もともと湿気がひどくてカビやすいコンディションの場所だったので、それはそれはひどいことになっていました。
これはもう、こんな状態で放置していることのほうがよっぽど木に対して失礼だわと思って、一日かけてきれいさっぱり処分しました。
何がモノに対するふさわしい敬意といえるのか、難しいところ。

今回お手伝いした、おばあさまの部屋は、ひとたびガラクタを運び出してみると、床材なんか、実はこちらでの私のうちよりずっと新しくてキレイでした。
ただ、ずっとほったらかしだったので、ホコリとカビだらけ。
これってほんとに、部屋に対しても気の毒だったわ、とつくづく・・・。
せっせと磨いていると、「おー、キレイになったー!」とMichiさんが感激してくれました。
「掃除、うまい!」とも言われました。
掃除にうまい下手ってあったっけ?
あ、でも今の部屋で、掃除しづらい箇所を攻略するのにさんざん戦ってきたから・・・。
いや、別にそれが趣味ではないのですが、必要に迫られて目下の問題と格闘するうち、しぜんとステージが上がってきたみたい。
ひと段落したあと、アトリエでフォアグラと発泡ワインをごちそうになって、フランスらしい年の瀬となりました。。





  

Posted by 中島迂生 at 09:31Comments(0)巴里日記2017-12月