2014年01月29日

名残りの薔薇

当時のある日見た夢。

          夢想集ムーア・イーフォック 3
             名残りの薔薇


 このあたりでも、時々上空を戦闘機が飛んでゆくのを見ることはあったが、全体としては、まだ十分のどかで、平穏だった。
 こちらに移ってきてまだまもないある夏の日のこと、ジェニーは照りつける太陽の下、一人で探検に出掛けていった。ぼうぼうに生い茂る広い草地を一つ越えてずっと進んでいって、しまいに一軒の廃屋を見つけた。打ちっぱなしのコンクリートの、ひどく殺風景な四角い建物だった。その周りには、もとは庭園だったのだろう、ばらや菩提樹やリンゴの木なんかがひとかたまりになって植わっていたが、もうだいぶ前から打ち捨てられ、周囲の草地とのさかいめが分からなくなっている。その光景を見て、ジェニーは不思議に心を動かされた。そして、トマス・ムアが<名残りの薔薇>を書いたとき、心の中に思い描いていたのはきっとこういう場所だったに違いないと考えた。
 扉を開けて中に入ると、中は物置きみたいに、こわれた家具や色んながらくたがいっぱい押し込んであった。大きな窓から陽が差し込んで、けっこう明るかった。二階に通じる古い木の階段を用心深くのぼってゆくと、ちょうど上から誰かがおりてくるのに出会った。それは小さな男の子だった。七才くらいの少年で、金色の巻き毛と小生意気ないきいきした瞳を持ち、子供用に仕立てた水平服を着ている。そして、もったいぶったかっこうで大きな木製のトレイを下げていたが、その上には小型の消火器が置かれ、その首のところに細い鎖が巻きつけられていて、鎖のはしはトレイの取っ手のところに結びつけてあった。
「こいつが逃げ出さないようにね」
と、少年は説明した。
「ここへ連れてこられると、みんな隙をうかがって、逃げ出そうとするんだ。そうすると、そいつらを捕まえて、銃殺しなくちゃならなくなる。それじゃ、かわいそうだろ? 実際、少なからぬ連中が、そういう目に遭ってるんだ。ランプとか、こうもりがさとか、水門のハンドルなんかがさ。裏庭に行ってみれば分かるだろうけど」
と言って、少年はあごで指し示した。
「十字架がいっぱい立ってるんだよ・・・そいつらのお墓なんだ。雨の日なんか、見てるとちょっと惨めな気分になるぜ。十字架は地面から突き出た白い骨みたいだし、窓ガラスの雨粒はあいつらの涙みたいでさ」
「でも、その連中は、何のためにここへ連れてこられるの?」
とジェニーは息を詰めて聞いた。
「何のためにって? もちろん、映画の役を演ずるためにさ。役者が脱走しちまったら、映画が成立しないだろ?」
 それから、少年とジェニーは砂だらけの階段の、陽の当たるいちばん下の段に座って、ちょっと話をした。
 しばらくしてジェニーは街へ帰り、学校に戻った。その後奨学金を得てアメリカに渡り、結局、残りの生涯をそこで過ごすことになった。けれど、彼女は大人になってもその日のできごとを忘れなかった。
 一方、戦争の終わった次の年の夏、この廃屋はドゥルーズ監督の戦後第一作の映画の撮影場所として使われることになった。その映画のタイトルは<名残りの薔薇>だった。

 (1999)





  

2014年01月29日

救出作戦!

当日のある日見た夢。


        夢想集ムーア・イーフォック 4
             救出作戦!


 Aはまだ暗いうちに電話のベルでたたき起こされた。ねぼけまなこで受話器をひっつかみ、耳に押しあてると、指令本部からの電話だった。7時57分の環状線に乗って、反対方向から来るKと電車の中で落ち合うようにとの指令だ。反対方向から来るKと、どうやって電車の中で落ち合うのか見当がつかなかったが、考えても仕方ないので言われるとおりに乗りこむことにした。熱いお茶をすすり、薄明かりの中でセーターを頭からかぶって、駅まで自転車をすっとばしていく。
 動き出した列車の窓から見ていると、やがて向こうから別の列車がやって来た。そして、こっちの列車とすれ違うとき、窓の一つからKがさっと飛び出して、こっちの窓にひらりと飛び移り、乗り込んできた。
 KはAの向かいの席に腰を下ろすと、ネクタイの曲がりをちょっと直し、「さて、と」と言って書類かばんを取り出した。Kによると、どこそこの屋敷にもう一人のKという人物が捕われの身となっていて、Aの使命はこの人物を助け出してくることなのだった。Kは手帳のはしにこの屋敷の住所を書き記し、そこのページを破り取ってAに渡した。それから別の紙に、屋敷の見取り図を書きながら説明し始めた。
「東門の近くのこの辺に」
と言いながら、Kはシャープペンで紙面をこつこつたたいた。
「ハリエニシダの植え込みがあって、その根もとに、排水口の鉄製のふたが埋まっている。我々救出部隊はすでに、屋敷の塀の外側からこの排水口に通じるトンネルをこっそり切り掘って、入り口のところで待機している。だから君は、Kを探し出したら、このハリエニシダのところまで連れてきて、いっしょにトンネルをくぐり抜けてくるんだ」
 Aに手順を説明し終えると、Kはまた書類かばんを下げて、あたふたと電車の窓から飛び出していった。
 Aはそれからさらに電車を何本も乗り継いで、指示された場所へ赴いた。
 正面の門の扉は固く閉ざされていて、ベルをならしてもガンガンたたいても誰も出てきてくれない。仕方がないから梯子を持ち出して塀をのりこえ、広い果樹園を抜けて、台所の窓から屋敷に侵入した。ぴかぴかに磨きあげられたあめ色の木の食卓が並ぶ、だだっ広い食堂をつっきったが、そこにもだれもいなかった。扉を開けると、となりは赤いビロード張りの劇場になっていた。そこもがらんとして、だれもいなかった。
 廊下を出て、階段をぐるぐる上がったり下がったりして、また別の扉を開けると、そこはエメラルドグリーンの調度で統一された図書室だった。ここにはちらほら人がいて、立ち読みしたり、しずかに言葉を交わしたりしている。Aはちょっと迷ったが、本棚の後ろにKが閉じこめられているかもしれないと考えた。そこで、滑車つきの台をひっぱってきて、いちばん上の段から順々に本をひっぱり出しては、裏側の壁を調べはじめた。
 すると、人々も、これは危ないぞと感づいたらしく、やたらとAの周りにまとわりついてきて邪魔しだした。はっきりと攻撃的というのではないのだが、不気味な笑いを浮かべては、ただ気持ち悪くまとわりついてくるのだ。Aはとうとうそいつらを振りきって逃げ出した。ところが、その頃にはもう、屋敷じゅうに情報が伝わっていて、そこらじゅう、敵でいっぱいだった。どこへ行っても敵にぶつかる。きりがないのでピストルを持つことにして、まとわりついてくる奴を片っぱしから撃っていく。そして、屋敷じゅうをかけまわって、扉という扉を開けてまわったが、どこにもKはいなかった。
 さいごに追ってくる奴をふり向きざま撃ち殺し、中庭を抜けて、人が鈴なりになった非常階段を押し分けながら降りてゆくと、いちばん下の段のところにKがいた。腰を下ろし、五線譜と鉛筆を手にウォークマンを聞いていて、けんめいに音を聞き取ろうとしている。その姿を見て、Aは、Kが自分のギターの先生であることに気づく。Aが近づいてゆくと、Kはまるで後ろに目がついているみたいに、Aの方を見もしないで言う、
「ごめん、ちょっとまだ、完全にコピーし終わってないんだ」
 Aはあきれ返る。おいおい、こっちは命がけで戦っているというのに、曲なんかコピーしている場合かよ。
「だって、君、来週までに絶対コピーしておけって、言っただろ?」
と、Kは言う。
 ともかく、Kをひっぱって、ハリエニシダの植え込みのところまで息を切らして走り、それから排水口のふたを力まかせにひっぱり開けて、Kといっしょにもぐりこむ。暗いトンネルを、モグラみたいに這って進み、ようやく救出部隊の仲間たちが待っている向こう側へたどりつく。そこではじめて力が抜けた。Aはほっとして腕で顔を拭い、ほおに泥がついているのもかまわず、みんなと手を取り合って笑って、「作戦成功!」と宣言した。

 (1999)





  

2014年01月29日

卑弥呼

これも、当時のある日見た夢そのまま。

        夢想集ムーア・イーフォック 5        
              卑弥呼


 ろうそくの光で明るく照らし出された広い洞窟の中を、群衆が・・・押しつ押されつ、ざわめきながら流されてゆく・・・
 そのいちばん外側のはじを、しかし誰にも劣らない心の高まりをもって運ばれてゆく私には、遠くかすかに、なおも冷たい鋭さをもって感ぜられた・・・彼の敵意が、群衆のどのあたりに紛れているともしれない彼の敵意が、はりつめた糸のように四方へ発せられるのが。
 ざわめく群衆の中心にはあの人がいて、いつもながらまっすぐに顔を上げ、わずかに伏目がちにして、赤い額帯を締め、真っ黒な髪を流し、ひきずるほど長い白装束に身を包んでしずしずと進んでゆく。
 私はいつもいつもあの人を見ていた、他には何も目に入らなかった。いつもいつもあの人を見ていた、ただし遠くから、なぜならあの人のまわりにはいつもいつも群衆がいて、押しの強くない私には、とても近づける状態ではなかったから。
 そんな調子でずっときて、どれほどの歳月が流れただろう。どういう巡り合わせなのか、私にも分からない。ただ、あの人といっしょの舟に乗って行くことになったということの他には。

 あの人と、私と、それから私の黄金丸と。
 けれど、それだけではなかった、心の底では私だって、ひそかに予感していたし怖れてもいたのだ、彼もまたいっしょに行くということを。
 しかしながら、どういうわけか、彼のまわりの空気は私たちのと変わらなかった。彼がおそろしい敵意を抱いているというのは、あれは私の勝手な思いこみだったのだろうか? 私には分からない、しかし、あれが思いこみにすぎないのならその方がいいに決まっている、そしてどうやら実際そうらしい・・・断言はできないけれど・・・
 こうして舟は出発する・・・水晶の岸辺をはなれて、北の海へ・・・
 夜あけ、あたりはまだ薄暗く人影もない。

 ああ! どうしてよりによって彼が、私たちと同じ舟に乗る巡り合わせになったのだろう。彼はいつでも平然として、超然と振る舞い、影のように存在感すら感じさせない。彼はあの人に対しては常にうやうやしく接し、ふだんはめったに口をきくこともなく、そして私に対しても、ことさら敵意も軽蔑も示さない・・・一体これはどういうことなのか?
 それからあの獣だ。全く、あいつはどうしてああも黄金丸に似ているのか? まるできょうだいだ、合わせ鏡だ、遠くから見たら見分けもつきやしない。一体どういうわけで、黄金丸のイメージを増幅し、ぼやけさせることで、黄金丸を貶め、そのアイデンティティーを打ち砕こうとするのか? しかも、悪気などみじんもないような顔をして!
 なお悪いことには、あいつ、ほんとに悪気などみじんもないのだ。ほんとにそうなのだ。礼儀正しく、丁寧で、いつも愛想がよくて・・・しかも、黄金丸より美しい! 毛並みはいいし、ほんとにきれいだ、あの獣は。だれだって、好きにならずにはいられない・・・
 あるとき、私はあいつと二人きりで話したことがある。自分の心がこわかった、黄金丸よりあいつの方がもっと好きになりそうで・・・
 黄金丸は、以前とちっとも変わらない。あいつが現れて自分の影が薄れても、何の気負うところもなく、黄金丸以外の何物でもない。目に入らないと、時々忘れちまうんだ、黄金丸のことを。
 それから、あの人だ・・・あの人のことが、私にはいちばん分からない。無数の崇拝者にとりまかれ、かしずかれていたあの人が、どうして私なんかといっしょにこの舟に乗り込んだのか?
 あの人は袖を合わせて船首にたたずみ、彼方へとじっと目を注いでいる。そばにいても、めったに言葉を交わすこともないのは同じだけれど・・・それでもやはり、遠くから眺めているのと、そばにいるのとでは違うのだ。心の届く半径内にいるのだ、あの人が。そう。そばにいる、それでもなお、天の星のような孤高な輝きを持ち続けて。

 私たちの舟・・・みんなが乗り込んだら身動きもとれないような小さな舟は、今日もそそりたつ氷塊のあいだをぬって進んでゆく・・・目につくものはと言えば氷塊と、鏡のように滑らかな、黒い水面と、うすずみ色に広がる空だけだ。こんな小さな舟、しかし、互いに遠く隔てられた五つの心を乗せて、舟は今日も漂いつづける・・・

 (1996)